第1回研究会 民俗学の危機

第1回研究会 民俗学の危機 ―現代民俗学が問うべきこと

日時:2008年9月20日(土) 13:00~17:00
場所:お茶の水女子大学 大学本館2階209室
表題:民俗学の危機 ―現代民俗学が問うべきこと
発表者:
 岩本通弥(東京大学)「民俗学は「民俗」学ではない」
 菅豊(東京大学)「民俗学の陳腐化―使えない民俗学用語と概念」

岩本通弥(東京大学)
 問題提起 「民俗学は「民俗」学ではない」

 民俗学が大きく転換する必要性とその見取り図について問題提起がなされた。すでに大転換を果たしたドイツ民俗学を参照に、人びとの「日常」に注目すること、「民俗」という連続性(伝統性)の内包された概念を放棄することなど、新たな視点の可能性について提示された。特に「日常」については、今後の民俗学において中核的な分析枠組みとなろうが、それらの視角は日本の既存の研究にも内在しており、これまでの研究蓄積に接合可能であるとし、「日常」への注目とは「今ここにある当たり前」を、プロセスとして問うことに他ならないと説明した。

菅豊(東京大学)
 問題提起 「民俗学の陳腐化―使えない民俗学用語と概念」

  民俗学は、その学問が生み育て、そして大事にしてきた用語や概念を陳腐化させている。たとえば、仏語の 「トラヂシオン(tradition)」の翻訳である「伝承」という言葉も、それが文化の政治性を排除する概念として柳田によって設定されたがゆえに、現在では使いづらいものとなっている。その他、「民俗」、「常民」などという言葉も、すでに耐用年数が過ぎ、無条件には使えない言葉となっている。このような学問の硬直化、陳腐化に対応する方法論的検討がなされるべきであり、それは、自国、自分野の自己目的化したレビューではなく、外に開かれた学際的、国際的検討がなされるべきであることが述べられた。

企画趣意

 日本の民俗学は、危機的状況にあります。民俗学の落日が喧伝されて、すでに十年以上がたちました。おおかたの民俗学研究者は、この学問に従来の勢いがないことぐらいは気がついているはずです。しかし、民俗学が落日してからのこの十数年間で、民俗学研究者、そしてそれをサポートするはずの学会組織は、新しい道筋を見つけられずに、また新しい試みに十分に挑戦せずに停滞を続けました。そのような状況に何ら疑問も抱かず、その停滞に対して危機感すら感じず、あるいは、気がついていても見て見ぬふりをしてきたのが、これまでの日本の民俗学の十年間ともいえます。
 民俗学は、根本的な大きな問題を抱え続けています。学問の目的、学問の方法論―概念、用語、分析手法―、学問の対象などすべてにおいて、再検討を要する状況にあります。日本民俗学の創始者・柳田国男の業績は、未だ「生きた」セオリーのごとく利用され、研究の世界に流通しています。その業績が、日本民俗学に果たした役割は大きいとはいえ、四十五年も前にこの世を去った過去の研究者を相対化できず、それに依存するのは、他の学問には見られない異常で奇妙なことなのです。
 また、民俗学は、実社会における位置づけにおいて困難な状況にあります。民俗学への社会的要請、民俗学に対する社会的期待は、それほど高くはありません。むしろ、近年、社会的にその認知度は、さらに低下しつつあります。また、アカデミックな世界における存在感も、かなり低いものになっています。科学研究費の申請の分科からはずされた状況、学術会議でのプレゼンスの低さ、全国の大学における教員ポスト数の減少等々、制度的アカデメイアにおいて、民俗学はかなり危機的な状況にあります。
 このような日本民俗学界内部、また他学問も含んだアカデメイア、そして一般社会における日本の民俗学の危機的な現状をしっかり認識しなければ、現代民俗学会と銘打つ新しい組織を作ったところで、その実体は旧態依然とした研究組織となり、設立する意義は全くないと考えます。したがって、まずは、民俗学の危機的状況を本学会に参画する人びとで議論し、危機感を共有すべきだと思います。
 今回の研究会は、以上のような現状認識に鑑み、民俗学の危機的状況を再認識し、その現状から目をそらすことなく、正面から受け止めるための基本的ディスカッションを行うことを目的として開催されます。まず、二名の論者から、民俗学の危機的状況に関する問題提起を行います。それを起点に、現代社会との民俗学との不適合性や民俗学の未来に向けての困難さ、また逆に現代社会における民俗学の存在意義や可能性といった「現代民俗学が問うべきこと」を、研究会の参加者全員で討論し―基本的に参加者全員が発言できる場をもうけたいと思います―、それによって、未だ輪郭の定まらぬ「現代民俗学」を、色づけてみたいと思います。(文責:菅豊)