第2回研究会 新たな民俗学の行方
第2回研究会(京都民俗学会との共催企画) 新たな民俗学の行方 ―歴史と現代からの照射―
日時:2008年12月7日(日)13:00~17:40
場所:佛教大学6号館101号室
表題:新たな民俗学の行方 ―歴史と現代からの照射―
発表者:
川村清志(札幌大学)「民俗文化研究への視角 ―“民俗”と“歴史”の再/脱構築にむけて」
村上忠喜(京都市文化財保護課)「神性を帯びる山鉾 ―祇園祭山鉾の近世・近代・現代」
山泰幸(関西学院大学)「〈現在〉の〈奥行き〉へのまなざし ―社会学との協業の経験から」>
谷口陽子(お茶の水女子大学)「現代の家族・親族関係の研究における民俗学の可能性」
徳丸亞木(筑波大学)「伝承の動態的把握についての試論」
川村清志(札幌大学)
「民俗文化研究への視角 ―“民俗”と“歴史”の再/脱構築にむけて」
【要旨】
日本民俗学は、歴史科学と現代科学をつなぎあわせて構築された極めて不安定なものである。しかも、日本民俗学会が、その理論的接合を試みたのは過去のことで、組織さえ維持できればよしとして学会内に引きこもり、我々に「民俗」の可能性を提示することはなかったのである。民俗学(フォークロア)の父、柳田國男が日本の常民、つまりコモンピープル独自の文化を主張したとき、歴史学に代表されるアカデミズムは、民俗学を黙殺した。そして、柳田の弟子達が、その名を利用して研究所を創設し、民俗学会を組織しながら、アカデミズムとの迎合を果たしたのである。その結果は、諸君らが知るとおり、民俗学の敗北に終わった。それはいい。しかし、アカデミズムと迎合した民俗学は変質し、民俗学は歴史学の下位分野に位置づけられた。それが、日本民俗学衰退の歴史である。ここにいたって私は、民俗学が今後、絶対に理論的な齟齬をきたさないようにすべきだと確信したのである。それが、民俗を文化研究のもとに再/脱理論化する真の目的である。これによって、民俗学の論争の源である「歴史」についての不毛な議論を粛清する。
村上忠喜(京都市文化財保護課)
「神性を帯びる山鉾 ―祇園祭山鉾の近世・近代・現代―」
【要旨】
現在、32基ある祇園祭の山鉾のうち、約3分の2にあたる21の山鉾において、なんらかのご利益を標榜する授与品が配布される。祇園祭の山鉾は、本来は神賑の風流であり、山鉾の上に飾られる趣向自体はご利益の対象となるような神性を帯びたものではなかったはずである。本報告では、いかに山鉾に神性が付与されていったかを跡付けた上で、神格化を目指した伝承の論理を考察する。そしてそれに規定されていく後代の伝承をトレースしつつ、伝承の歴史的展開から、伝承そのものについて考察したい。
山泰幸(関西学院大学)
「〈現在〉の〈奥行き〉へのまなざし ―社会学との協業の経験から―」
【要旨】
私はここ十年ほど、所属する職場などの関係で、多くの社会学者と共同研究をしたり、社会学教育などに携わってきた。いまでは、社会学関係の雑誌や書籍などに書いたものの方が多くなっている。もちろん、大学院で民俗学を学び、自分自身も民俗学者だと思っているが、じつは私がそのように自覚するようになったのは、上記のような社会学との出会いを通じてであった。私は、社会学との関係性の中で、民俗学の魅力がはっきりと見えてきたのである。これはおそらく、歴史学など他の学問との関係性の中で、民俗学に魅力を感じている方々にも共通するのではないだろうか。では、私は、社会学とどこに接点があり、どのような違いが出せると考えてきたのか。そのあたりのことを、私のごく限られた経験から、お話してみたい。
谷口陽子(お茶の水女子大学)
「現代の家族・親族関係の研究における民俗学の可能性」
【要旨】
社会の急速な少子高齢化のなかで、家族・親族関係のあり様はこれまでにも増して大きな変化を余儀なくされている。今日、民俗学の用語や概念は、現実に生じている事象や変化を理解・解釈するうえで、必ずしも万能ではないことが指摘されている。他方、現実を顧みるに、それなくしては理解や説明が困難な事象が数多く存在することもまた事実である。本報告では、現代の家族・親族関係のあり様を一つの軸として、民俗学の用語や概念が置かれているアンビバレントな状況を再考し、現代社会研究における民俗学の可能性について論じることを目的とする。
徳丸亞木 (筑波大学)
「伝承の動態的把握についての試論」
【要旨】
民俗学がその研究対象としてきた伝承は、現代に生きる人々の内面で保持され、生活の様々な側面で、言葉や行為として相互に伝えられ、さらには次世代へと継承されて行くものと考えられる。ある場合には、伝承は、固定化した静態的なものとしてではなく、それを保持し、伝えて行く人々の生活や心のありかたとも結び付き、動態的なものとして存在する。今回の研究報告では、現在社会において、伝承をささえる人々に目を向け、伝承を動態的なものとして把握する。さらに、人々が、伝承をいかに内面化し、主観化するかを、その背景としての歴史的環境や、彼の生活体験の内省的な叙述との関わりから分析を加え、報告を行いたい。