第5回研究会 「都市」の収穫を問い直す

第5回研究会 「都市」の収穫を問い直す ―80年代を〈学史にする〉ために―

日時:2010年3月20日(土)13:30~17:00
場所:お茶の水女子大学大学本館 2階209室
表題:「都市」の収穫を問い直す ―80年代を〈学史にする〉ために―
発表者:
 飯倉義之(国際日本文化研究センター)「都市民俗学の〈揺れ〉 ―方法としての都市、実体としての都市」
 土居浩(ものつくり大学)「都市と〈私〉と学際と ―または「俺が民俗学だ」とカタる芸」

■コーディネーター:飯倉義之・渡部圭一(早稲田大学)

趣旨

 日本の民俗学における1980年代とは、それまで中心的な概念と思われていたものがつぎつぎと動揺をきたした時代である。民俗学を“変える”ための大胆な議論が闘われた時代であり、民俗学の革新とはいかにあるべきか、という大上段の問いが運動となって渦巻いた最後の時代である。実際、「場」「現在」「個人」「身体」など、いまの私たちの考え方をかたちづくる基本的な発想の多くはこの時代に提起され、あるいは胚胎したものである。80年代は、現在の民俗学者のありかたを大きく左右する一大転機であったようにみえる。
 だが、それから30年が経とうとしている現在でもなお、80年代のできごとは十分に正視されているとはいえない。ここには、従来の日本民俗「学史」が重出立証法から個別分析法へといった、1970年代を下限とした「学説史」として描かれてきたという事情も関わっている。
 80年代という時代にいったい何が起き、何が変わったのか、その実質的な理解はいまだ途上の段階にある。いわば、80年代はまだ学史になっていないのである。しかし、民俗学の変革をめざす上で、そのもっとも先鋭的かつ最新の収穫を定位することは、いま私たちがなにを足場にしてどちらへ踏み出せばいいのかを教える貴重な道標となるはずである。
 これまで80年代のできごとがうやむやにされてきたことは、当時、理論面の最前線に躍り出ていた「都市」論のその後の行方に、もっとも象徴的に表れている。近年における一般的な評価は“一過性のブームとして消費されてしまった都市民俗学”といったものであろう。しかしここには都市論の提起した本当の可能性から目をそむけ、表面的な陳腐化だけを取りあげてすませる態度が見え隠れしている。
 代わっていま必要なのは、都市に託された当時の思考の転換をあとづけ、先鋭化した議論の真意を受け止め直すこと、そしてそこから80年代の運動のもたらした収穫と挫折を正視してゆくことである。たとえば、当時の閉塞感とはどのような質のものであり、新しい概念に期待されたものは何だったか。そこで狙われた「革新」の射程はどんなもので、そこで何が打破されたか、あるいはされなかったか。
 都市を糸口に広がるこれらの問題はいずれも容易なものではない。しかし、イデオロギーの暴露にも似たかたちで民俗学の思考様式そのものを揺さぶろうとした80年代という時代を総括し、正しく位置づけようとする学史の叙述は、それと同じくらい民俗学的思考のラディカルな刷新が希求されている現在においてこそ必要であり、また可能になっているはずである。2010年代の民俗学の始まりにあたり、いまとこれからの私たち自身を見定める手がかりを求めて、未来志向の学史を構想する所以である。(渡部圭一)

飯倉義之(国際日本文化研究センター)
 「都市民俗学の〈揺れ〉 ―方法としての都市、実体としての都市」

【要旨】
 1980年代の民俗学は、高度経済成長期を通過した1970年代後半より顕著となった「民俗の消滅」の危機感を受け止めつつ、新たな方向を模索していた。そうしたときに注目を浴びたのが「都市」というフィールドであった。
 しかしそうした期待を背負った都市民俗論は、バブル景気の崩壊のころ、急速に熱気を失っていく。それは都市民俗学というジャンルの確立とうらはらの出来事でもあった。都市民俗学の熱気は、都市をめぐる議論の〈揺れ〉から生じたものであった。その〈揺れ〉とは、都市を学問の方法として捉えるか、対象として捉えるかという〈揺れ〉であったはずだ。
 本発表では、1980年代の都市民俗学の形成を学史として素描し、都市民俗学がもたらした、いま・ここのわれわれが参照すべき可能性についてまとめたい。

土居浩氏(ものつくり大学)
 「都市と〈私〉と学際と :または「俺が民俗学だ」とカタる芸」

【要旨】
 かつて都市に注目した民俗学に魅力があったとすれば、そのひとつは間違いなく学際性を志向した点にある。そのことは明石書店から刊行された『都市民俗生活誌』全3巻や、岩田書院から刊行され始めた『都市民俗基本論文集』全4巻&別冊2(予定)に収録された諸論考からも明らかだ。
 しかしながらより根幹の魅力は、都市を語る論者たちからほとばしる〈私〉の佇まいにあった、というべきだろう。換言すれば「俺が(俺こそが)民俗学だ」との気概を示す芸の上演(=言説実践)こそが、80年代「都市民俗学」界隈における熱気の正体であったと考える。
 本発表では「俺が民俗学だ」を(80年代限定の)刹那な叫びとしないために、どのような芸の継承が可能かについて、学際的観点を踏まえて考察したい。