第8回研究会 自然保護と文化保護、何が違うのか?
第8回研究会 自然保護と文化保護、何が違うのか? ―その異同を考える
日時:2010年11月27日(土)13:00~
場所:東京大学東洋文化研究所3階大会議室
表題:自然保護と文化保護、何が違うのか? ―その異同を考える
発表者:
菅豊(東京大学・教授)「資源としての『自然』と『文化』 ―客体化され管理される対象の異質性と同質性」
藤原辰史(東京大学・農学生命科学研究科・講師) 「ナチスの農場概念 ──「土壌・植物・動物・人間の共生」とホロコーストのあいだ」
コメンテーター:
安室知(神奈川大学・教授)
■コーディネーター:岩本通弥(東京大学・教授)、室井康成(東京大学東洋文化研究所・特任研究員)
■主催/共催:現代民俗学会、東京大学東洋文化研究所班研究「東アジアにおける「民俗学」の方法的課題」研究会
趣旨
自然資源という言葉から対比的に流通しはじめた、「文化資源」という言葉が定着し、その是非はともかくとして、文化はすでに保護から活用=資源化の時代に突入しています。その保護・保全など管理の手法にも、自然環境で用いられてきた考え方や方法が、何ら議論や検討されるもことなしに、入り込み、あるいは深く影響を与えているのかもしれません。そこで今回の研究会では、いま一度、冷静に、自然保護と生きた人間を巻き込む側面のより大きい文化保護とでは、いったい何が違うのか、これらを腑分けして、その原理的な異同を考えてみたいと思います。
少々その歴史を振り返ってみると、日本では、1992年のユネスコの世界遺産条約へ加盟し、「文化的景観」の概念や理念が導入されて以降、それまでの指定文化財の単体保存から、バッファーゾーンを含めた保護対象の拡張がはじまって、一体的・総体的な保護と称し、対象範囲の無限的な融通性が増していったように思われます。近年では、もともとは集落周辺の二次林を指していた「里山」が、以降、山里的な景観全体に拡張されるほか、「里海」「里川」などといった言葉まで産み出され、「自然との共生」の美名の下、際限なく広がりつつあるようにも思われます。コモンズ概念にしても、アナロジカルに、文化コモンズ論に転換していくような、容易に「文化的なものと自然的なものの混同」されていく傾向が認められます。
このような日本の現状をみるとき、まずもって想起されるのが、ナチス・ドイツにおけるエコロジー思想との類同性やその文脈拡張性です。帝国自然保護法から生活改善運動に至るまで、戦前の日本の諸施策は、ドイツをモデルに政策化された歴史的背景があるとはいえ、その奇妙な一致は、一度、俎上に載せて議論したいと思います。今研究会では、積極的に「公共民俗学」を主唱される菅豊氏と、その対論者として『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房、2005年)の著者である藤原辰史氏を迎え、根源的な問題から手法的な問題まで、全般的に扱っていきます。
本来、自然保護にしても文化財保護にしても、無闇な開発に対して、身の回りの生活環境が危機に晒され、身辺卑近な自然や文化に思いを至らせ、その歯止めとしてはじまった市民的な住民運動から立ち上がったものも多く、それらは民俗学の初発の関心とも関連していたでしょう。文化資源という捉え方や言葉の流用で、外部からアクセスしやすい観光など、資源化の道具に資するとき、私たち民俗学者には微妙な違和感やためらいを覚えざるを得ないのが実情かと思います。藤原氏の立場も、有機農法にナチスの汚名を着せることではなく、むしろ逆であって、それが現代文明社会に問いを発する、根源的な可能性を追究されています。私たちの初発の立場と基本的に通有しており、何ものかに回収されない回路が、いかにして築けるか、それを目指す研究会趣旨であることを付記しておきます。(文責:岩本通弥)
菅豊(東京大学・東洋文化研究所・教授)
「資源としての『自然』と『文化』 ―客体化され管理される対象の異質性と同質性」
【要旨】
現代社会において、自然も文化もともに資源として見つめられている。従来、自然資源は、その物質的な有益性から直接資源とされてきた。しかし、現在、自然資源は、その本源的な価値とは異なる、政治や経済、社会的な位相の価値を付与され、文化資源化している。そして、自然は文化とともに、ナショナルな語りに絡め取られている。本発表では、明治神宮の「森」や、「里山」を題材に、日本の自然が「日本」の本質として文化資源化されることのポリティクスを批判しつつ、さらに、そのような本質を強調する文化資源化が、自然や文化をめぐる保護や活用という実践現場で、有効なストーリーとして用いられているディレンマについて検討する。
藤原辰史(東京大学・農学生命科学研究科・講師
「ナチスの農場概念 ──「土壌・植物・動物・人間の共生」とホロコーストのあいだ」
【要旨】
農場という自然と人間が交流する場を、ナチスは、伝統的な農業経済学のように「経営体」とみなすのではなく、人間が自然と共生する「有機体」と考えた。これは、19世紀のロマン主義の流れを汲む思想であり、ナチスもその系譜にあるといってよい。ナチ時代に有機農業の支持者が多数登場する背景としても重要である。この有機体論を貫徹させるには、市場原理に代わる新しい価値観の創出が必要であった。それを提供したものが、生物学や民俗学と結びついた農本主義だったと私は考えている。この思想が作り上げた価値観がどのようにナチズムの現場において合流したのか──当時の食糧農業大臣や農学者たちの思想と実践にそくして、考えてみたい。