第17回研究会 『介護民俗学』という問い
第17回研究会 『介護民俗学』という問い―六車由実氏との対話
日 時:2013年3月16日(土) 13:00~17:30
場 所:東京大学東洋文化研究所・大会議室(本郷キャンパス)
演 題:介護民俗学の実践とその反響
登壇者:
発表者:六車由実(民俗研究者/デイサービスすまいるほーむ管理者・生活相談員)
コーディネーター/討論者:
岩本通弥(東京大学)
山泰幸(関西学院大学人間福祉学部)
■主催/共催:現代民俗学会/科研基盤研究(B)「民俗学的実践と市民社会―大学・文化行政・市民活動の社会的布置に関する日独比較」/東京大学東洋文化研究所班研究「東アジアにおける『民俗学』の方法的課題」
内容紹介:
2012年3月に出版され、各方面で大きな反響を呼んでいる、六車由実著『驚きの介護民俗学』(医学書院)を、著者も交えて、改めて「民俗学」の問題として、その「方法」に引き付けて議論する。同書は、今日的な課題である介護や福祉のあり方を鋭く問いつつも、「驚き」という感受性豊かな筆致によって、極めて優れた(エスノグラフィックな)読みものとして、すでに高い評価を受けている。主要な新聞・雑誌の書評欄に数多く取り上げられており、内容の紹介は省略するが、研究会参加者には、同書のほかに、日本記者クラブ主催の「著者と語る」での会見(7月25日、You-tubeで公開中)や、立命館大学大学院の先端総合学術研究科公開企画の書評セミナー(5月25日)の元になったであろう、上野千鶴子氏の書評「回想法でも傾聴でもなく、そして民俗学でもなく」(共同通信4月1日配信)などを合わせ読んでおかれることを、参加の前提として要望しておきたい。なぜなら本研究会では、介護現場の実態などに関しては、それらを参照いただき、あくまで民俗学としての「問い」に、論議を集中させたいからである。
六車氏は「介護民俗学」という命名には、2つのメッセージが込められていることを、随所で繰り返し述べている。一つは民俗学で培ってきた経験や知識・技術が介護現場に役立つ可能性であり、もう一方は民俗学や民俗学者に対するメッセージである。例えば、聞き書きとは何かをはじめ、本書は民俗学的な論点が多岐に渡って鏤められている。埋もれた近代庶民のなりわい=「忘れられた日本人」の発見・掘り起こし・記録化の問題をはじめ、回想法の問題点や聞き書きとの相違、また民俗学における実践性のあり方等々、多種多様な視角が盛り込まれているが、今回の研究会では、本書の帯にも「語りの森へ」という第4章のフレーズがあるように、①語りと聞き書き、②身体に刻まれた記憶、③民俗学的実践性の3点に限定して討議を尽くしたい。「語り」に焦点をあてることで、民俗学のあり様や、なぜ民俗学は「聞き書き」という手法を用いてきたのか、また民俗学とは何なのか、著者六車氏の民俗学に対する「思い」を中心に語っていただいた上で、①と②に関する2名のコメンテーターの質問、および会場からの質疑応答で出てくるであろう③について、深く追究していきたい。
「聞き書き」はおそらくインタヴューや取材とは異なるものだろうし、最近の質的調査法を用いた社会学やナラティヴ・アプローチを駆使する質的心理学などと、どこが何が違うのか。その違いをもたらすものは何なのか。また人が自らの人生を語るとはどういうことなのか。その固有の経験を人に語り伝える、あるいは伝えたいという行為や心持ちとはいったいどういうものなのか。民俗学は話し手の経験や想いを聞き取る学問だと自ら称してきたものの、彼ら/彼女らが本当に語りたいものを塞いできてしまった反省など、討議を通じて明確化したい。
特に①に対する討論者は、本書が多くの読者を惹きつけたのは、介護される人びとに寄り添い、その「声」を上手く活かしただけでなく、叙述の主語があくまで「驚き」の主体である六車氏本人であったこと、従前の民俗学に多かった中途半端な客観主義を排除したところに、読者に「驚き」=面白さやリアリティを伝える、一つの仕掛けがあったと考えている。著者の「感じたるまま」という間主観性を、加減せずに叙述した点は、現場と研究の立場との往還運動で生まれた、現象学的記述(エピソード記述)そのものであった可能性を問い掛ける。
②に対する討論者は、語りと身体的記憶との関係性を問い直す。一般に「語り」を扱う研究者は、「語り」の信憑性を保証できる語り手を暗黙のうちに想定してきたのではないか。ところが、六車氏が聞き書きの相手として見出したのは、従来の想定を超えた語り手であり、語り手の発見によって、彼ら彼女らの語りから予想もしていなかった過去の記憶=歴史が明らかにされるのである。その意味で、そこには二重の「驚き」がある。六車氏は、さらに語りだけではなく、身体的記憶へと対象を拡張していくが、そこで見出される身体的記憶と語りとはいかなる関係性にあるのか。またそれらを研究者が理解しようとする場合にどのような難しさがあり、両者にはどのような違いがあるのか。そもそもそこで得られた理解には、介護と民俗学、そしてこれからの民俗学にとって、どのような意味があるのかについて、議論したい。
以上のような「介護民俗学」という試みを、民俗学はどのように受け止めるのか。あるいは介護民俗学は、民俗学に独自の潜在的な可能性を掘り起すものなのか。民俗学の実践性の方向を示すものなのか。著者の六車由実氏を迎えて、活発な議論を交わしたいと考えている。
発表要旨:発表タイトル「介護民俗学の実践とその反響」
民俗研究者/デイサービスすまいるほーむ管理者・生活相談員 六車由実
拙著『驚きの介護民俗学』を刊行して以来、多くのメディアで取り上げられ、また一般読者や様々な分野の専門家からも評価していただいている。多くは、介護や福祉の現場での聞き書きや民俗学的視点・方法の有効性を評価するものであったが、今回本学会において介護民俗学をテーマとして取り上げていただくことになり、拙著でのもう一つのメッセージである「民俗学にとっての介護現場のもつ意味」について、民俗学の研究者のみなさんと初めて議論できる場ができたことに、心からの感謝と大きな期待を抱いている。
私は初めから民俗研究をする目的で介護の世界に入ったわけではない。ところが、介護現場での利用者との具体的な関わりが、あるいは介護現場で実践されるケアへの率直な疑問が、私に、自分が民俗研究者であることを自覚させ、それまで培われてきた民俗学の方法や関心のあり方の意味を改めて問い直させることとなったのである。そして、私は、介護現場で介護職員であり民俗研究者として実践し続ける覚悟を決めた。
拙著の書評で、上野千鶴子氏は、民俗学者が研究目的で介護現場へ関わることへの懸念を述べているが、私はそれでも敢えて、民俗を研究する多くの者が民俗学的関心をもって介護現場へ入ってくることを望みたい。それは、介護現場が民俗資料の宝庫であるということばかりではない。民俗学者の関わりが、閉鎖的な介護現場―しかし本来は多様な生き方をしてきた多様な利用者がいる介護の世界を社会へと開いていくきっかけになるだろうと思うからだ。そして、民俗学者自身にとっては、予定調和的には終われない介護現場における聞き書きによって、自らの行う民俗学研究の方法や目的、意味の問い直しが促されるとともに、新たなテーマや方法の発見につながる可能性も秘めていると考えるからだ。
発表では、このような関心のもと、介護現場での私の実践とその反響、そしていくつかの展開を具体的に紹介していきたいと考えている。