第23回研究会 政治化する「慰霊」

第23回研究会 政治化する「慰霊」―民俗学は応えられるか―

※登壇者が変更となっておりますのでご注意ください。 日 時: 2014年7月13日(日)13:00~17:00
会 場:国学院大学渋谷キャンパス2号館102号室
発表者:
 及川祥平(成城大学民俗学研究所研究員)
 岡部隆志(共立女子短期大学教授)
コメンテーター:
 西村明(東京大学大学院准教授)
コーディネーター:
 室井康成(建設資材販売会社勤務)・菅豊(東京大学東洋文化研究所教授)

趣旨:

 今日ほど「慰霊」というビヘイビアが「政治」の文脈で語られ、その言説が力をもつ時代はないのではなかろうか。ひと頃までは、例えば日本における過去の戦死者に対する「慰霊」のあり方が政治問題化したとしても、自己との無関係性を装うことも可能であった。しかし今日では、「慰霊」はあらゆるメディアを通して多くの人々を巻き込み、人々の属性を超えて“政治化”する様相を帯びている。言を換えれば、現代は「政治化する『慰霊』」という問題に無関係でいることが、難しくなりつつある時代であると言えるのではないか。
その背景には、電脳空間へのアクセスが容易になり、誰もが政治的言説の生産者たりうることが可能になったという技術的な側面や、この問題をめぐる国際社会の反応に対する日本の再反応など、いくつかの要因が考えられるが、それらに加えて、9・11や3・11の経験を通じて、再び「公」のために個を犠牲にするという死のリアリティが増幅してきた結果、そうした形態での死に対する「慰霊」の問題が、今日の日本においても身近に感じられるようになったということが指摘できるのではなかろうか。
 他方、これまで日本の民俗学では、この「慰霊」という問題に対し、他の学問分野から参照されるほどの数多くの研究成果を蓄積してきた。しかしながら、件の「政治化する『慰霊』」という問題には十分に応えられているとは言えない状況にある。かつて文化人類学との対比の中で半ば自虐的に語られた「資料提供者としての民俗学」という斯学のマイナス面は、やはりこの「政治化する『慰霊』」という問題をめぐっても露呈している感が強い。
 そこで本企画では、「慰霊」という問題に対して豊富な資料を蓄積してきた民俗学が、「政治化する『慰霊』」という状況に対して、いかなる対応が可能なのか、あるいはまた不可能なのかという点について議論したい。

及川祥平(成城大学民俗学研究所研究員)
「民俗学は「顕彰」をどう捉えるのか」
 慰霊の政治化を民俗学が対象化し得ずにあるとすれば、その遠因は、死者の取り扱いにおける「顕彰」の側面を軽視してきたことにあると筆者は了解している。近年、記憶論的な人神研究の隆盛化にともない、「顕彰を動機とする神格化」にも関心が寄せられつつあるが、それらは今なお研究対象としては周縁的な位置付けにある。同様の問題は、民俗学的な戦死者祭祀論の多くが「政治とは無縁な民衆の論理」として御霊信仰を強調する一方、その「顕彰」的な側面を近代的かつ非「民俗」的なるものと見なす傾向にもうかがえる(もっとも、歴史上の狭義の御霊信仰は政治的状況と切り離して理解することはできない)。ここには現実の文化事象を民俗と非民俗に弁別して後者を対象から切り捨てていく、民俗純粋化志向とでも名づくべき学の認識論的な偏向が影をなげかけているかのようである。
 「顕彰」という観点は、「異常な死」だけではなく、「特筆すべき生」もまた死者の記憶化を結果する、という事実への気づきをもたらす。それを考察することは、社会的価値・規範や道徳、あるいは権威との、人々のつきあいのあり方を正視することにつながっていく。犠牲を尊び、すぐれた人を讃え、権威に跪拝し、栄誉・名声を欲する意識は、生活者の素朴な幸せの希求と無縁ではなく、また、日常的なふるまいに作用する政治性と関わる。本発表では、以上の認識のもと、民俗学における死者論の偏向を問題化しつつ、「顕彰」が切り拓く議論の可能性を探ってみたい。

岡部隆志(共立女子短期大学教授)
「慰霊の心性」
 山折哲雄は、戦時中真面目に歌わなかった「海ゆかば」を戦後になって聞き、「地の底にひきずりこむような哀調が全身を押しつつみ、神経が逆立つ緊張感が襲ってきた」と述べている(『これを語りて日本人を戦慄せしめよ』)。よく知られた「海ゆかば」は昭和12年に信時潔によって作曲されたものである。この歌曲は戦意高揚歌として作られたが、実際は戦死者への黙祷の歌として歌われていく。丸山隆司『海ゆかば-万葉と近代』によれば、ひめゆり学徒隊が死を覚悟したときにこの歌を合唱したという。この歌には情によって死者との境界をひらく力があるように思われる。旋律の力もあるが何よりも「海行かば水漬く屍/山行かば草むす屍」と「屍」が歌われるからだろう。かつて中国雲南省イ族の葬儀を調査したことがある。まず死者の遺体を村の女が取り囲み哭き歌を歌う。この葬儀を最後まで調査した遠藤耕太郎によれば、哭き歌を歌う女達は火葬の場には近づけず火葬は男達が行うという。遺体を通して引き起こされる強い情は日常性の回復のためにはいったん抑圧されなければならない。が、抑圧された死者への情はどこかで立ちあらわれざるを得ない。日本で多く建立される慰霊塔はそのような情をかき立てる依代でもあるだろう。「海ゆかば」で歌われる屍にも依代としての強い意味作用があったのではないか。以上のような考察を通して、慰霊の背後にある古代的とも言える心性について考えていきたい。

■主催:現代民俗学会・日本民俗学会