第30回研究会 「捨てられゆくもの」の民俗学・社会学
第30回研究会 「捨てられゆくもの」の民俗学・社会学 ―村落社会における耕作放棄・空き家・無縁墓―
日 時: 2015年12月20日(日)13:00~
会 場:東京大学東洋文化研究所3階 大会議室
発表者:
藤井紘司(早稲田大学研究員/民俗学・文化人類学)
芦田裕介(宮崎大学/農村社会学)
五十川飛暁(四天王寺大学/環境社会学)
コーディネーター:
金子祥之(東京大学/民俗学・社会学)、菅豊(東京大学/民俗学)、矢野晋吾(青山学院大学/農村社会学)
趣旨:
日本社会では、いま、さまざまなものが捨てられている。「ごみ」のように誰の目からも利用価値がないと判断できるものだけではない。捨てるという言葉が相応しくない、田畑や屋敷、そして墓までもが、捨てられ、放置される対象となっている。田畑・屋敷・墓地が放置されると、地域の衰退が目に見える形で現出し、異様な景観をつくりだす。こうして、荒れ地・空き家・無縁墓が社会問題として顕在化する。
これら三つの問題は、民俗学・村落社会学の主要なフィールドとなってきた農山漁村で深刻化している。耕作放棄は農山漁村に特有の問題であるが、空き家や無縁墓は都市・村落の別なく課題となっている。だが、空き家や無縁墓の問題も、とくに農山漁村において深刻化しやすい。なぜなら、過疎化・高齢化・離村が進行するなかで、担い手不足により管理しようもない、田畑・屋敷・墓地が目立ってきているからである。
こうした村落空間内のアンダーユースが目立つ現状に対し、行政的なアプローチがとられはじめている。田畑・屋敷・墓地はいずれも私有財産であり、法的保護の対象である。それゆえに、これらが捨てられ、放置されているからといって、一足飛びに第三者による管理が可能になるわけではない。そこで空き家に関しては、2015年に、年限を区切って行政的な管理が可能になる法令が整備された。田畑については大規模農家や農業生産法人への土地集積が誘導されている。
それに対して別の方法を提起するのは、共有地の管理をめぐって議論を展開してきたコモンズ論者である。コモンズとは、複数の主体が協働して資源を管理するあり方を指す。コモンズ研究では、環境保全・資源管理において、地域社会の資源管理方法が有効であることが示されてきた。このようにコモンズ研究では、地域社会による資源管理に注目してきたため、見捨てられた田畑・屋敷・墓地を地域社会が管理するしくみが作りえないかが議論されている。
これらの指摘を活かしながら、農山漁村をもっとも大切なフィールドとしてきた民俗学・村落社会学は、オルタナティブなアプローチを提起できるはずである。田畑・屋敷・墓地は、いずれも村落社会を構成する家にとって、重要な家産として特別な意味付けがなされてきたものである。そもそも農山漁村に暮らす人びとにとって、荒れ地・空き家・無縁墓がいかなる問題なのだろうか。あるいは伝統的にはこうした問題に対していかなる対応策が用意されてきたのであろうか。「荒れ地・空き家・無縁墓」をめぐる「問題」の構成そのものを批判的に検討しながら、現代村落の課題にフィールドから応答していきたい。
藤井紘司(早稲田大学研究員)
「島嶼社会において無縁墓はどのようにあつかわれてきたのか」
近年、無縁墓が増加し、墓地の荒廃や撤去費用による財政圧迫、果ては墓石の不法投棄など、地域生活の新たな課題にのぼっている。これらの問題に対し、墓地行政の基本的な方針は墓地の集約化と無縁墓の合葬式共同墓(無縁塔)への改葬とが軸となっている。本発表では、公共工事や宅地開発による無縁墓の改葬が全県でもっとも高い沖縄県をフィールドにし、行政による合葬式共同墓への改葬を拒否し、縁故者でないにもかかわらず無縁墓を手放さず、管理し続けている事例を取り上げる。地域社会がなにゆえに「捨てられゆくもの」に抗し、無縁となった墳墓に働きかけ続けているのかをあきらかにする。
芦田裕介(宮崎大学)
「空き家をめぐる政策の論理と地域の論理」
日本の空き家率は上昇の一途を辿っており、防災や防犯、景観や人口問題などの観点から空き家への社会的関心が高まるなか、2014年には「空き家等対策の推進に関する特別措置法」が制定され、全国の自治体で空き家対策が進められつつある。実際の現場においては、空き家をめぐって行政や所有者、地域住民などのさまざまなアクターが存在し、それぞれの関心や思惑は地域社会の置かれた状況によって異なる。空き家への対応は、こうした諸アクターの空き家に対する意識や関わり方、アクター間の関係を考慮したうえで、慎重に検討することが必要だと考えられる。しかし、空き家に関する政策や研究では、これらの点について十分に議論がなされないまま、「空き家」が定義され、「空き家」の増加が問題視されているような印象が否めない。本報告では、まず「空き家」を「管理」しようとする政策の側の論理について検討する。そのうえで、全国的にみても空き家率が高い和歌山県のなかで、とくに過疎化・高齢化が進んでいる高野町の農山村を事例として、地域社会にとって、空き家にはいかなる意味があり、空き家をめぐって何が問題なのか、ということを考えたい。
五十川飛暁(四天王寺大学)
「「荒れ地」の利用にみる地域社会の空間管理――河川敷をめぐって」
本報告が対象とするのは河川敷の共同利用である。そのため、今回の研究会の主題である「捨てられゆくもの」としての切実さは、田畑や屋敷地や墓地に比べてやや弱いところがある。ただ、河川敷というのはそもそも所有や利用にかんする「曖昧さ」がともなってきた空間である。その曖昧さのなかでも地域社会の人びとにとって意味のある空間でありつづけているとするなら、そこには、上記空間の今後の「管理」のあり方にもつながるようなヒントがあるように思われる。以上のようなことを念頭におきつつ、行政的な管理のあり方と対比をしながら、河川敷をめぐる人びとの利用とそのポイントについて考えることにしたい。
■主催/共催:現代民俗学会、日本村落研究学会、「新しい野の学問」研究会(科研「現代市民社会における『公共民俗学』の応用に関する研究―『新しい野の学問』の構築―」(代表者:菅豊)