第42回研究会「「憑きもの」研究の現代的可能性を探る」

第42回研究会「憑きもの」研究の現代的可能性を探る

日 時: 2018年8月4日(土)14:00~17:30
会 場:


神戸大学 鶴甲第一キャンパスE棟4階大会議室

報告1:
 酒井貴広(早稲田大学)

 「憑きもの研究と地域社会の関わり―高知県幡多地方の「犬神」を巡って」

報告2:
 香川雅信(兵庫県立歴史博物館)

 「『憑きもの』研究から『妖怪』研究へ」

報告3:
 土取俊輝(神戸大学大学院、四天王寺大学非常勤講師)

 「「憑きもの」は本当にいなくなったか」

コメント:
 梅屋潔(神戸大学)

コーディネーター:
 梅屋潔・島村恭則(関西学院大学)

趣旨:

 かつて「憑きもの」の研究は、民俗学の看板、とはいわないまでも、人気のあるトピックのひとつだった。当時出版された民俗学の教科書のいくつかには「憑きもの」に関して章が割かれていた。しかし、今日では、かつてのようには「憑きもの」を研究する研究者の数は減っている。自らの研究テーマとして「憑きもの」と記載する研究者はおそらくは数名だろう。小松和彦が「憑霊信仰」の用語を用い始めて「憑きもの筋」研究の批判をしたこと、また、そのテーマの発展的解消とその結果生じた悪霊・妖怪研究・異人論などの相対的に新しい研究テーマの展開とともに、次第に衰退した印象がある。しかしながら、現在では、かつての「憑きもの」の要素が現代的な巡礼ブームの下敷きになっていると考えるものもいれば、かつての「憑きもの」研究は一時的に80年代の世界の妖術・邪術研究の理論的枠組みを先取りしていたと指摘する者もいる。果たして「憑きもの」は、現代ではとるに足らないテーマなのだろうか。あるいはまだ検討する余地のある可能性が残るテーマなのだろうか。あるいは、流行でこそないものの、豊かな可能性を秘めたジャンル足りうるのだろうか。
 この研究会では、「憑きもの」研究の最前線にいた香川雅信氏と、現在もなお「憑きもの」研究にこだわる酒井貴広氏と、その研究の入り口で「憑きもの」研究を志した土取俊輝氏を中心に、「憑きもの」研究の現代的な可能性を探ろうとする。香川雅信氏は、「憑きもの」研究から、妖怪研究にシフトして現在は妖怪研究を主な研究テーマとして研究を進めている。酒井貴広氏は、高知県でのフィールドワークを通して、「憑きもの」の一種である「犬神」観の変容や、「憑きもの筋」の学術的研究が現地の人々に与えた影響等について明らかにするなど、現在も「憑きもの」研究を継続的に行っている。土取俊輝氏は、1990年代という比較的新しい時期に「憑きもの」についての言説が報告されている、新潟県佐渡市で調査を行っており、現象としての「憑きもの」は衰退したととらえ、「憑きもの」を研究の中心にすえてはいないが、調査地に「憑きもの」に類する報告があった地域を選ぶなど、「憑きもの」研究の可能性への関心は維持している。この三名の報告に加えて、コーディネーターの一人である梅屋が議論に参加し、「憑きもの」研究の可能性を検討するのがこの研究会の目的である。

報告1:酒井貴広(早稲田大学)
「憑きもの研究と地域社会の関わり―高知県幡多地方の「犬神」を巡って」
 発表者は、高知県下で今なお語られる民俗事象「犬神」の研究を遂行してきた。先行研究における犬神は、西日本で広く語られる憑きもの筋の一種とされている。地域社会における憑きもの筋の言説は、周囲の人々から憑きもの筋に「されてしまう」特定の家筋へ不利益をもたらす社会問題を発生させており、憑きもの筋研究の多くがこの問題への対処という実践的志向を孕んでいた。しかし、憑きもの研究(特に憑きもの筋研究)が地域社会に及ぼした影響について、これまで議論されることは少なかった。
 本発表では、高知県西部の幡多地方――かつて民俗学者や文化人類学者が積極的に調査した地域でもある――における「犬神」の現況を提示するとともに、地域社会の言説やインフォーマントの語りに憑きもの研究の言説がいかに影響したのかを考察する。この試みは、マス・メディアが発達しアカデミズムの言説と生活世界の言説が急速に近付きつつある現代社会における、民俗学者の研究と成果発信の在り方を模索するものでもある。

報告2:香川雅信(兵庫県立歴史博物館)
「『憑きもの』研究から『妖怪』研究へ」
 今からもう四半世紀以上前の平成3年(1991)、「憑きもの信仰」に関する論文を執筆するために、私は徳島県のある町で「犬神」と呼ばれる憑きものについての聞き取り調査をおこなった。そこで私が出会った事例は、それまで私が憑きものに関して持っていたイメージを大きく覆すものだった。
 第一に、「犬神」を一種の動物霊と見なすような語りに出会うことは一度もなく、柳田國男や石塚尊俊が試みたように、憑きものを日本古来の動物信仰と結びつけて論じる方向性は最初から閉じられていた。また「犬神」が富の盛衰とかかわるという話を耳にすることもなく、速水保孝や小松和彦が試みたように、憑きものを共同体における富のあり方や社会経済史的な視点から解釈する可能性も開かれることはなかった。吉田禎吾らが試みた、共同体社会における「機能」から憑きもの信仰の意義を説くことも、あまりに予定調和の議論に思えて到底与することはできなかった。
 一方で、「犬神に憑かれると学校行かんようになる」という語りに巡り合ったことで、二つの方向性が開かれた。一つは、個人の災いを共同体内の特定の誰か(犬神筋)と関係づける「物語」を紡ぎあげるための「概念」として「犬神」を捉えること、もう一つは、共同体における社会構造の変化と、その中での「学校」の持つ意味について考えること、である。第1のものは、その後取り組んだ「妖怪」研究のなかで重要な意味を持つようになり、第2のものは、今後の「憑きもの」研究を意義づける視点に繋がってくるように思われる。本発表では、私の民俗学的研究の出発点となった「憑きもの」研究から、現在の「妖怪」研究に至る思考の遍歴についてお話ししたいと思う。

報告3:土取俊輝(神戸大学大学院、四天王寺大学非常勤講師)
「「憑きもの」は本当にいなくなったか」
 1950年代~70年代にかけて、民俗学、人類学において盛んに研究されていた「憑きもの」現象は、高度経済成長期以降の都市化、近代化による影響をうけて、その力を弱めていき、消滅していったとされている[小松 2000]。しかし、新潟県佐渡市の村落では1980年代後半~1990年代前半という比較的新しい時期に、「憑きもの」信仰の一種であると考えられるムジナ信仰が観察、報告されていた。「憑きもの」信仰に関心のあった発表者は、2013年に先行研究で報告されていた新潟県佐渡市北部の村落を訪れ、追調査を行った。だが、先行研究と比較すると、ムジナについての人々の信念・実践は保持されていないようであった。現地の人々の主観としても、「かつてと比べて今の人は信仰が厚くない」という現地の人々の語りが収集された。「憑きもの」は本当にいなくなってしまったのだろうか。
 本発表では、これまでの「憑きもの」信仰の研究がどのような動機で行われたのか、何を研究対象としていたのか、などといったことを振り返りながら、「憑きもの」が本当にいなくなってしまったのかどうかを検討することとしたい。

共催:神戸人類学研究会、神戸大学国際文化学研究科国際文化学研究推進センター