第43回研究会「ヴァナキュラー文化研究の輪郭線―
第43回研究会「ヴァナキュラー文化研究の輪郭線―野生の文化を考える、野生の学問を考える―」
日 時: 2018年9月16日(日)13:00~18:00
会 場:東京大学東洋文化研究所大会議室
イントロダクション:
菅豊(東京大学)
「導入・ヴァナキュラー文化研究―多義的で曖昧でふくよかな概念の輪郭線―」
発表1:
小長谷英代(早稲田大学)
「ヴァナキュラーの視点とその意義」
発表2:
ウェルズ恵子(立命館大学)
「ヴァナキュラー文学の研究方法―『ヴァナキュラー文化と現代社会』のエッセンスと主張」
コーディネーター:
菅豊
趣旨:
「ヴァナキュラー(vernacular)」とは、元来、土地固有の土着的な地方語、話し言葉、日常語を形容する言葉として使用されていたが、ここ数十年のあいだ、種々の人文・社会科学でその語義を拡大し、現代文化論における、より魅力あるキーワードとして発展させてきている。それは民俗学においても同様である。
小長谷英代は、「『ヴァナキュラー』は、今日の文化研究において、軽視できない関心や問題を含み、民俗学の新たな方向性を探る一つのキーワードとなっている」(小長谷 2017:28)としている。そして、その語をめぐって「言語と土着性の意味に加えて、権力、近代、人種、階級から、個人や集団の創造性、さらに研究者の位置性や政策に関わる問題等、きわめて多様なテーマが関わり、『文化』への関心を捉えているのである」ことを主張している。
少々乱暴にいうならば、ヴァナキュラーという語には、文字に対する口頭、普遍に対する土着、中央に対する地方、権力に対する反権力、権威に対する反権威、正統に対する異端、オフィシャルに対するアンオフィシャル、フォーマルに対するインフォーマル、ハイに対するロー、パブリック(公)に対するプライベート(私)、プロフェッショナルに対するアマチュア、エリートに対する非エリート、マジョリティに対するマイノリティ、不特定多数に対する集団、集団に対する個人、高踏に対する世俗、市場に対する反市場、非日常に対する日常、仕事に対する趣味、他律に対する自律、意識に対する無意識、洗練に対する野卑、教育に対する独学、テクノロジーに対する手仕事などなど、実に多様な含意を込めることが可能である。もちろん、このような単純な二項対立ではっきりと腑分けできるものではなく、実際はその対立の境界が溶融しているところでアクティブに蠢いている語ととらえるべきであろう。そのため、未だにvernacularという語に対する日本語での定訳はない。私があえてその語を翻訳するならば、「野」に「生きる」という意味での「野生」、あるいは「野性」と訳すであろう。
ここで重要なのは、従来、民俗学で用いられてきた民俗(folklore)や民俗文化(folk culture)、伝統文化(traditional culture)、あるいは大衆文化(popular culture、pop culture)といったスティグマが与えられた語を使用する研究とは異なる射程、あるいは異なる位相の研究を、ヴァナキュラーという語を使用することにより展開しようという意欲的な目標が掲げられていることである。それは旧来使用されてきたテクニカルタームの単なる言い換えではなく、それらでは掬い取られなかった現象や思考を、従来とは異なった方法で掬い取ろうとする新たな挑戦でもある。そして、この挑戦に成功するか否かが、この用語の使用価値の存否―要するにvernacularという言葉を使用する意義があるのか、ないのか―を決定づける。
本研究会では、「野生の学問」である民俗学の新たな転回に資するヴァナキュラーという概念と、その語によって括り取られる文化=ヴァナキュラー文化の研究意義と可能性を展望する。(文責:菅豊)
イントロダクション:菅豊(東京大学)
「導入・ヴァナキュラー文化研究―多義的で曖昧でふくよかな概念の輪郭線―」
近年、日本の民俗学、あるいはそれを取り巻く学術世界で、ヴァナキュラーという用語・概念が注目されつつある(小長谷英代 2016「「ヴァナキュラー」―民俗学の超領域的視点」『日本民俗学』285、島村恭則2017「民俗学(Vernacular Studies)とは何か」[http://history-memory.kwansei.ac.jp/pdf/170911_01.pdf]、ウェルズ恵子編2018『ヴァナキュラー文化と現代社会』思文閣出版など)。アメリカ民俗学において、すでに重要なキーワードとなっているこの語(Richard Bauman 2008 “The Philology of the Vernacular” Journal of Folklore Research 45-1)の、多義的で曖昧で、しかし、ふくよかな、いくつかの定義を提示することによりその概念の輪郭線を導き出し、小長谷英代・ウェルズ恵子との議論へとつないでいく。
発表1:小長谷英代(早稲田大学)
「ヴァナキュラーの視点とその意義」
vernacularが学術語として微妙な重みを含むようになったのは、比較的近年のことである。そのつかみどころのなさを問うことに意義がある。しかし、日本では文化人類学系・民俗学系の邦訳書でも「俗語」、「土着の」、「現地語」等の語に訳され、この語に喚起される複雑な意味や問題意識が見逃されてきた。では、vernacularとは何なのか、なぜ、どのような意義を帯びるようになっているのか? 本発表では、あらためてvernacularの文脈を問い、そこに提起される文化への新たな視点とその意義を考えていく。
発表2:ウェルズ恵子(立命館大学)
「ヴァナキュラー文学の研究方法―『ヴァナキュラー文化と現代社会』のエッセンスと主張」
ヴァナキュラー文化研究という学際的研究分野を提唱し、有効な研究例をヴァリエーションをつけて示すことを目的として、今年『ヴァナキュラー文化と現代社会』(思文閣出版)を編集出版した。本発表ではまず、「ヴァナキュラー文化」および、ヴァナキュラー文化研究を私がどう捉えているかを、本書編集の基本方針を通して述べたい。本書は三部構成(I.生成・創造/ II. 伝承・変容/ III. 拡散・再生)で、私自身は研究例として各部に論文を出している。そこで、本発表ではさらに、アプローチを異にする各論文の意図や研究方法を、本書の構成意義と絡めつつ、文学・文化研究者の立場から説明したい。加えて、異なる学問分野で関心の持ち方も異なる研究者をつなぐ糸としての「ヴァナキュラー」という用語が、どう効果的に機能するかや、現代社会と学術研究をつなぐ糸としても働く概念であることを述べられればと思う。
共催:パブリック・ヒストリー研究会(科研「パブリック・ヒストリー構築のための歴史実践に関する基礎的研究」グループ)、東京大学東洋文化研究所班研究「東アジアにおける「民俗学」の方法的課題」研究会