第44回研究会「民俗学的「差別」研究の可能性」

第44回研究会 民俗学的「差別」研究の可能性ー「日常」からのアプローチー

日 時: 2019年8月25日(日)13:30~17:00
会 場:


成城大学3号館321教室


趣旨説明:
 今野大輔(成城大学民俗学研究所)
発表者:
 入山頌(障害をこえてともに自立する会)

 「「路地」で暮らすために-東京都国立市公民館コーヒーハウスにおける「障害」と「青年」-(仮)」

 岡田伊代(荒川区立荒川ふるさと文化館)

 「皮革産業は「部落産業」でしかないのか-東京都墨田区の皮鞣し業を事例とした再検討-」

 辻本侑生(民間企業勤務)

 「いかにして男性同性愛は「当たり前」でなくなったのか-近現代鹿児島の事例分析-」

コメント:
 川松あかり(東京大学大学院)
 桜木真理子(大阪大学大学院、日本学術振興会)
総合司会:
 及川祥平(成城大学文芸学部)

コーディネーター:
 及川祥平・辻本侑生

趣旨:

 誤解を恐れずに言えば、民俗学者が接するあらゆるフィールドや資料には、何らかの「差別」が包含されている。そういった意味では、民俗学における「差別」とは、関心がある研究者のみが取り組む個別の研究トピックではなく、人びとの複雑かつ多様な日常を描き出すための切り口となりうるのではないだろうか。
これまでの民俗学や隣接分野(社会学・人類学)は、差別を受けてきたマイノリティについて、エスノグラフィックな成果を蓄積してきた。これらの成果は差別の被害を受けてきた人びとの生の声を記録・公表してきた点において非常に重要な意義を有するが、差別を加えてきた側の人びとについて捉えていないという課題を残している。差別が関係性の中で立ち現れるものであることを踏まえると、「差別される側」に限らず「差別する側」を含めた多様なアクターの関係性に着目し、その中でどのように差別が立ち現れているかを明らかにする視角が要請されるが(例えば、吉田早悠里2014『誰が差別をつくるのか エチオピアに生きるカファとマンジョの関係誌』春風社)、こうした視角に基づく研究は民俗学においてほとんど蓄積されていない。
 以上のような課題を解決するためには、近年の民俗学において議論されている「日常」という視点が有用であろう。生活事象や慣習的思考法の変遷を記述することに長けている民俗学において、「日常」という視点は、普段の生活において自明視されている観念・感覚を問題化し、新規な文化事象が「当たり前」化していく様態、「当たり前」であった何かがそうではなくなっていく様態を把捉することができる(岩本通弥2015「“当たり前”と“生活疑問”と“日常”」『日常と文化』1)。この「日常」という視点から差別生成のプロセスを把握することは、民俗学における喫緊の課題であると考えられる。
 本研究会では、この「日常」という視点を意識した三つの具体的な事例研究を提示した上で、議論を行いたい。まず、岡田は、東京都の皮革産業地帯におけるフィールドワークから、部落差別研究に偏ったこれまでの民俗学のフレーミングの歪みと問題点を明らかにし、皮革産業に従事する人びとの日常性に向き合う必要性を指摘する。辻本は、岡田とは反対に、民俗学が差別研究の対象として取り上げてこなかった性的マイノリティに着目し、近現代の鹿児島県を対象とした歴史分析から、日常における性的マイノリティ差別の成立プロセスを明らかにすることを試みる。最後に、入山は、東京都国立市の「コーヒーハウス」における障がいのある人と市民が場を共有する実践への参与経験から、「健常者」と「障がい者」という枠組みに回収されない暮らしの可能性について模索する。
 現代民俗学会では、2014年3月に「社会的排除に民俗学はいかに向き合えるのか」と題した研究会を開催し、民俗学という学問が差別や社会的排除の日常性を捉える可能性を十分に有していることを確認した(及川祥平2015「差別と排除の日常性を記述するために(コーディネーター報告)」『現代民俗学研究』7)。今回の研究会は5年前の研究会の成果を活かしつつ、「民俗学は差別問題にもっと取り組むべきである」というスローガンを超え、フィールドや資料に即した具体的な事例研究に基づいて議論を深化させることを目指している。(文責・及川祥平・辻本侑生)