第46回研究会「現代民俗学は「地域」と「むら」をどう捉えるか

第46回研究会「現代民俗学は「地域」と「むら」をどう捉えるか-〈共〉の民俗学を考える」

日 時:2019年11月16日(土)14:00~17:00
会 場:成城大学8号館831教室

コーディネーター:加藤秀雄(成城大学)
総合司会・趣旨説明:加藤秀雄
発表者:
 植田今日子(上智大学)
 「『地縁』は構築できるか」
 猪瀬浩平(明治学院大学)
 「しがらみを編みなおす:障害者の地域生活運動の分解と異化」
コメンテーター:
 金子祥之(跡見学園女子大学)

参考文献
・植田今日子『存続の岐路に立つむら-ダム・災害・限界集落の先に』2016 昭和堂
・植田今日子「原発事故と畜産農家の避難:なぜ「避難」が畜産農家の廃業を招くのか」(『環境社会学研究』vol.25, 2019年12月刊行予定)
・猪瀬浩平『むらと原発-窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』2015 農文協
・猪瀬浩平『分解者たち-見沼たんぼのほとりを生きる』2019 生活書院
・わらじの会編『地域と障害-しがらみを編みなおす』2010 現代書館

趣旨:

 近年、民俗学の研究対象をめぐる議論が活発化しており、本会においても、「日常」や「人」、「ヴァナキュラー」といった新たな研究対象をめぐる理論的検討がなされている。このような動きは、「民俗」や「常民」、「伝承」といった旧来の研究対象が含意する様々な問題点を克服し、新たな民俗学の領域を広げていくための試みとして位置づけられるだろう。
 民俗学の歴史を紐解くと、過去にも研究対象をめぐる議論が活発化した時期があり、1970~1980年代の常民論、都市論などが例として挙げられる。しかし、これらの議論が行われた同時代の民俗学において、最も重要な研究対象となっていったのは、「地域」、あるいは「むら」であった。
 当時の民俗学において「地域」と「むら」は、民俗を保持する伝承母体とみなされ、その再生産を可能とする社会組織や規範のあり方に注目が集まった。そこには、民俗が集団によって維持されるという前提があり、集団の持続と民俗の持続を結びつける思考の存在を看取することができる。
 このような視点による研究は地域民俗学と呼ばれたが、1990年代後半から、その欠点が指摘されはじめるようになる。大きく分けてその批判には、2通りのものがあったと整理できるだろう。1つ目は、地域民俗学が地域と伝承を静態的なものとして描く志向性を持っていた点に向けられており、2つ目は、地域やむらで生きる具体的な人々の生活や語りが捨象されてしまうことに向けられたものである。これらの批判は、近年の新たな研究対象の模索をめぐる動きにも接続されることになる。
 こうした批判を経て、現在の民俗学における地域、むら研究は低調なものとなっており、直近の『日本民俗学』の研究動向号でも、そのことが指摘されている(大野啓 2018「社会-人のつながりと、行動の規制」『日本民俗学』293号)。しかし市川秀之が、2014年の研究動向号で述べるように、社会学や地理学における村落研究は、震災や過疎高齢化などの社会状況を反映して、むしろ活況を呈しているのである(市川秀之 2014「村落」『日本民俗学』277号)。このような他領域と民俗学のズレは、地域とむらに対する問題意識の違いに起因するものだろう。
 このズレを埋め、今後の民俗学における地域、むら研究の方向性を探るのが本研究会の目的だが、その方向性を定めるための補助線として、今回は〈共〉というコンセプトを用意した。〈共〉は多様な存在が地域やむらの中で「共に生きる」ことを指すものであり、それがいかなる意味を持ち、何を生み出してきたのか(いるのか)を考えるためのものである。本研究会では、〈共〉に向き合い、それを描き出す試みを続けている二人の研究者を招いて、その課題と可能性を検討していく。(文責:加藤秀雄)