第52回研究会シリーズ「フィールドとしての農村・再考」Part.1
第52回研究会
シリーズ「フィールドとしての農村・再考」Part.1「農民文学/農村問題から民俗学史を拡張する」
ご案内:
■現代民俗学会会員の方には、開催日前日までに、会員向けメーリングリストを通じて、参加に必要なZoomのID・パスコード等をご連絡いたします。
■本研究会は、非会員の方にも事前申し込みの上でご参加いただくことが可能です。下記の登録方法をよくお読みください。
日 時:2020年12月6日(日)13:00~16:00
会 場:オンライン開催(オンライン会議システムZoomを使用)
コーディネーター:加藤幸治(武蔵野美術大学)、内山大介(福島県立博物館)、菅豊(東京大学)
タイムテーブル:
13:00~13:20 問題提起:加藤幸治「課題としての「土」―もうひとつの「野の学問」の水脈―」
13:20~14:40 発表1:今井雅之(宮城県教育庁)「吉田三郎・幻の農民文学「我田引水」」
発表2:内山大介「体験と実践のフィールド学―昭和期東北の農村問題と山口弥一郎―」
14:40~14:50 休憩
14:50~15:50 討論(加藤幸治、今井雅之、内山大介、菅豊)
趣旨:
民俗学の「野の学問」としてのあり方が問い直されて久しい。
それは単に、近代日本におけるアカデミズムの動向とは異なる「出自としての在野性」、すなわち「野(や)に在ること」のみをさすものではなかった。調査者のフィールドワークは、意図する・しないに関わらず社会関与的な性格を持つ。そうした民俗学の実践性に、学問としての存在意義や有用性を見出そうとするなかで「野の学問」は議論の俎上にあげられた。今日の民俗学におけるフィールドワークは、文字通りの“野外調査”をさすだけでなく、「問いの舞台としてのフィールド」すなわち「野(の)=実践のフィールドを持つこと」と不可分なものとなっている。
戦前の民俗調査は、方言の採集などの目的のみならず、調査の行為そのものが郷土の理解、農村の振興、生活の改善といった国民的な課題とも結びついていた。一方で、民俗学が確立していく1930年代において、農村(あるいは田園)は、人間性の復権のための最前線であり、確固たる存在としての個人を追求する者の葛藤の舞台でもあった。
「問いの舞台としてのフィールド」を深く追求しようとした当時の営みのひとつとして、農民文学がある。農民文学は、もともと自然主義文学から展開し、社会の現実と不条理との葛藤のなかで、人間性の不屈や労働に生きる人間像を描き出すことを目指した文学運動である。都市生活や工場労働等による人間疎外や、近代社会における個人の葛藤などを遠因としつつ、農民の日々の労働に依拠した詩や小説等の文学的表現、農民や共同体のあるべき姿がこれを通じて模索された。こうした問いは同時代的な共感を得ることもあれば、ラディカルな政治思想へと結びつき弾圧の対象となることもあった。
一方で、より個人的な実践の形として農村での労働に向かった人々のなかに、民俗学との接点を持つ者も少なくなかった。吉田三郎は、秋田・男鹿の脇本村をフィールドとして、自らの生活の実践と記録、そして農民としての文学表現に身を投じた人物である。学史においては『男鹿寒風山麓農民手記』(1935年)および『同・農民日録』(1938年)で知られるが、未完の農民文学『我田引水』および戦後の著書からは、彼の現場における”問い”に触れることができる。
もうひとつの「問いの舞台としてのフィールド」へのアプローチは、現実の農村問題と向き合うフィールドワークである。地理学や社会経済学などの訓練を積んだ者のなかには、生活の理解という接点から民俗学に近接する者も少なくなかった。民俗学は、生活の理解という目的においてさまざまな分野から乗り入れることができる「学際」、すなわち中間領域であった。『津波と村』(1943年)で知られる山口弥一郎の東北の地域研究、とりわけ彼が扱った過疎・開拓・災害のテーマにおけるフィールドとしての農村の意義は、改めて問い直してみる必要があろう。
こうした農村を舞台とした同時代の実践を、趣味の世界の拡張、農村青年教育、田園をめぐる美術史や美学、文化記録映画といった民俗学の外史とともに見ていくことで、この学問そのものの外貌をどのように描き直せるであろうか。それは戦後の民俗学にどう引き継がれ、あるいは断絶してきたか。そして、現代におけるわたしたちのフィールドでの実践はどこへ向かっていくのか。
本シリーズ「フィールドとしての農村・再考」では、こうした問題意識を深めるための研究を通じて、現代における民俗学の座標軸を測り直してみたい。
■共催:現代民俗学会、「野の芸術」論研究会(科研「「野の芸術」論―ヴァナキュラー概念を用いた民俗学的アート研究の視座の構築」グループ)