2014年度年次大会
2014年度年次大会
日 時:2014年5月18日(日)10:00~17:00
場 所:お茶の水女子大学 大学本館306室
(1)個人研究発表 10:00~12:00
10:00~10:30 第一報告
姚※[※は王偏に京](神奈川大学歴史民俗資料学研究科)
「祭祀儀礼の変化と持続 ―疫病退散儀礼を担う人々の視点から―」
10:30~11:00 第二報告
櫻井知得(筑波大学人文社会科学研究科歴史・人類学専攻)
「伝統工芸の現代的創作 ―「高崎だるま」を事例に―」
11:00~11:30 第三報告
白松強(九州大学大学院人間環境学府人間共生システム専攻)
「現代中国における文化遺産化による村落祭祀の変容―河北省武安市固義村の村祭「捉黄鬼」を事例として―」
11:30~12:00 第四報告
小泉優莉菜(神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科)
「長崎県生月島におけるかくれキリシタンの唄おらしょ―伝承と信仰観の変化についての一考察―」
(2)会員総会 12:00~12:45
・事業報告
・会計報告ほか
(3)年次大会シンポジウム 13:30~17:00
「民俗誌はもういらない?―現代民俗学のエスノグラフィー論―」
場 所:お茶の水女子大学
発表者:
川田牧人(成城大学教授)「それでもエスノグラフィーする人類学者の言い分」
菅豊(東京大学教授)「民俗学における多様なエスノグラフィーへの挑戦」
趣旨:
日本においてエスノグラフィーは、フィールドワークを基盤とした調査研究の成果を公表するメディア=民族誌として受けとめられる場合が多い。しかし、エスノグラフィーは本来、調査研究を行うフィールドの選定や研究対象の発見といった初期段階から、地域や人びとへのアプローチの方法、収集データの整理・分析法、さらに記述法、記述メディアの公開法といった最終段階までに至る、多局面に関わる研究行為の方法を総合的に捉える概念である。それは情報のインプットからアウトプットという研究プロセス全体と密接に関わっているが、しかし単なる情報収集の個別メソッド、あるいはテクニックではなく、フィールド科学を標榜する研究者の姿勢や感性、そして内在する問題意識なども問う全体的な「方法」なのである。
民俗学では、このエスノグラフィーという言葉にはあまり馴染みがない。それよりも記述範囲が限定的なメディア=「民俗誌」という、かなり特殊な用語でエスノグラフィーに類するものを捉えてきた。かつて、1920年代にまとめられた爐邊叢書という珠玉の民俗誌シリーズは、その時代において手法的に独創的であり、斬新であり、個性的であり、そして挑戦的であった、と評価できるのだろうが、残念なことにその後、民俗学者によってそれは方法として高められることはなかったし、自覚的に継承されることもなかった―その現在的な価値や方法的可能性は未知数である―。また、1960年代末から始まり、1970~80年代に活発化し惰性化した自治体史という文化ドキュメンテーションの特殊な運動もまた、書かれたものの価値やその方法の有効性、あるいは限界性なども十分に吟味されていない。そうこうするうちに、自治体史は下火になり、また民俗誌という言葉を用いて研究する研究者は、もはやほとんどいなくなってしまった。たとえ民俗誌という言葉を使用したとしても、それは特段の意味のある表現ではない。その言葉には、「ただなんとなく」民俗学の書物や研究としての雰囲気を醸し出すだけの効果しかないのである。民俗誌は、もはやその力や価値を大きく減じてしまったようである…。
一方、エスノグラフィー論は、人類学や社会学など、民俗学以外のフィールド科学において、ディシプリンの壁を越えた脱領域的な方法論的課題として長年共有され、またいまも新しい活力を求めてその可能性が共に追究され続けている。民俗学も、そろそろそのようなエスノグラフィー論と同期(シンクロナイズ)し、方法論的共有知を獲得し、新しい試みに挑戦しても良いのではなかろうか。
「現代民俗学は、今後いかなる社会・文化叙述に向かうのか?」――本シンポジウムでは、学問の性格論争にまでつながりかねないそ,br>のような大問題を、パネリストの発話を糸口に、参加者が自身の経験をふり返り将来を展望する。(文責:川田牧人・菅豊)
川田牧人「それでもエスノグラフィーする人類学者の言い分」
あえて挑発的に言えば、エスノグラフィーは現地資料収集の限定的ノウハウではない。むしろフィールドで何をいかにして見出したのかといったプロセスや、いかに特定の対象が重要性を帯びてたち現れてくるのかの認識論が記述内容にオーバーラップされるような類の、ある種の揺らぎをもった書き物である。
このような書き物の特性は、1910年代、ほぼ時期を同じくしてフィールドワークの試みを展開していた柳田國男が、これでは時間が足りないと「あきらめたあとの構想のありよう」(関一敏「しあわせの民俗誌」『国立歴史民俗博物館研究報告』51、1993:320)として項目調査を組織化したのに対し、マリノフスキーはインテンシブ・フィールドワークにもとづくエスノグラフィーの方法を編み出したという歴史的シーンに、まずは見出すことができよう。現地の情報を収集する方法としては項目による網掛けが効率的だという発想は、「いくら時間があっても足りない」という柳田の嘆きを前提しなくても、当然えられる模範回答であろう。しかしエスノグラフィーは、逆に、あえてその効率性の方を当初からあきらめていたことになる。
第二の歴史的シーンとして、1984年のいわゆるサンタフェ・ショックにスポットがあてられる。ニューメキシコ州サンタフェで開催された民族誌記述をめぐるセミナーでの議論は邦訳も刊行されているが(『文化を書く』紀伊國屋書店、1986)、そこでの議論を経由して、客観的現地資料を収集する方法として、あるいは異文化の本質的他者性を無批判に表象する記述としてのエスノグラフィーには一定のペンディングが付されるようになった。エスノグラフィーはむしろ、対象についての主観的表象であるポエティクスと、現実の政治経済的背景を不可欠としたポリティクスとの狭間に生じる特殊なアプローチであるとされるようになったのである。
このような試練を経てきたエスノグラフィーは、冒頭に述べたように、データ収集の方法としてのみではないとすれば何なのか。現在、それでもあえてエスノグラフィーするとすれば、それは何故なのか。発表ではとりわけ、サンタフェ・ショック以降のエスノグラフィー研究の再編成を、
(1)グローバル状況下におけるフローのエスノグラフィー(cf. マルチサイテッド・エスノグラフィー)、
(2)リフレクシブ・エスノグラフィー(cf. 応答とコミットメント)、
(3)ポスト世俗的エスノグラフィー(cf. マジック・リアリズムのエスノグラフィー)
といった近年の動向から探りつつ、人類学者はなぜあえてエスノグラフィーし続けるのか、その姿勢は、民俗誌からエスノグラフィーへの展開を構想する現代民俗学においていかなる意味があるのかを考えたい。
菅豊「民俗学における多様なエスノグラフィーへの挑戦」
「民俗誌」という表現と存在は、すでに学問的に意義を失っている。いや、もともとそれは漠然と意義づけされ、価値ある存在として幻想されていただけにすぎないのかもしれない。「民俗誌」に被さる「民俗」という表現、そしてその概念自体が、社会や人間生活に立ち現れる文化現象の一部―伝承的な―しか、そもそも括り取れないという限界性を有しているが、その点からいえば、それだけを断片的に収集し、細部を記録し、書誌化する意義は、民俗学においてもっと真剣に検討されるべきであったはずである。しかし、そのような検討を抜きに、民俗を総覧するためにただ漫然とドキュメンテーションしてきた、というのが現実であろう。もっと酷い言い方をすれば、民俗学は単焦点的に文化を取り扱ってきたため、実際は総合的でマルチフォーカルなドキュメンテーションは、それほど多くは試みてこられなかったともいえる。
いま、ここで議論しなければならないのは「民俗誌」の可能性や限界性ではない。いま大事なのは、民俗学研究者のフィールドでの研究姿勢や方法自体に関する議論である。どこで、誰の、何を、何のために調べ、どのように表現するのか?―このような一連の研究プロセスを根本から問い直すためには、「民俗誌」という「日本」民俗学特有のジャーゴンから解き放たれて、他のフィールド・スタディーズと対話可能性をもつ「エスノグラフィー」という表現に、少しくもたれかかってみることもあながち無駄ではなかろう。すでに多くの学問分野が、この問題に取り組んできたのであるから、民俗学独りが孤立を選択して別世界で奮闘する必要はないのである。
エスノグラフィーに関し社会学者・藤田結子は、「英語の『ethnography』は調査方法論としての意味が強いが、日本語の「民族誌」は研究成果の意味が強い」とし、エスノグラフィー自体は「調査方法論であり、そのプロセス(過程)とプロダクト(成果)の両方を指すのである」(藤田結子他編『現代エスノグラフィー―新しいフィールワークの理論と実践』、新曜社、2013:21)とする。このような考えのもと、社会学や文化人類学を中心とするさまざまなフィールド・スタディーズにおいて、どこで、誰の、何を、何のために調べ、どのように表現するのかという全体的なエスノグラフィー論が展開され、多岐にわたるエスノグラフィーの方法が提示されている。
本発表では、すでに種々の分野で試みられている多様なエスノグラフィーの方法のいくつかを取り上げ、これからの民俗学における応用可能性を検討したい。とくにここで注目するのは(1)マルチサイテッド・エスノグラフィー、(2)オートエスノグラフィー、(3)コラボラティブ・エスノグラフィーという、私自身も試み、また試みようとする方法である。(1)では、あたりまえ過ぎるほどに進行した文化のグローバル化状況への民俗学の対応を検討し、(2)では民俗学の再帰的あり方を自覚的に問い直し、(3)では民俗学の現代的な存在意義ともいえる「新しい野の学問」としての性格を模索するものである。
このようなエスノグラフィー論は、単なる民俗学の研究手法の基本的な検討作業にとどまるのではなく、民俗学の「学」としての性格を根本から問い質す作業にまで敷衍されなければならない。
コーディネーター
菅豊、塚原伸治(東京大学特任研究員)