2016年度年次大会

2016年度年次大会

日 時:2016年5月21日(土)10:00~
場 所:東京大学東洋文化研究所 大会議室

(1)個人研究発表 10:00~12:00

10:00~10:25 第一報告
   馬路(神奈川大学歴史民俗資料学研究科)
   「徽州の女祠に関する考察」
10:30~10:55 第二報告
   桜木真理子(筑波大学人文社会科学研究科)
   「病いの境界はどこか―ハンセン病経験者の語りにみる医療と経験―」
11:00~11:25 第三報告
   菅豊(東京大学東洋文化研究所)
   「宮本常一が予期しなかったこと―文化政策、民俗学者の介入、そして順応的管理―」
11:30~11:55 第四報告
   川森博司(神戸女子大学)
   「現代民俗誌への模索と課題―『高砂市史』における試みから―」

(2)会員総会 12:00~12:45

・事業報告
・会計報告ほか

(3)年次大会シンポジウム 13:30~

「民俗」にはまる人々―「民俗」中心の民俗学を超えて―

発表者:
 森田玲(玲月流 篠笛奏者)
 有本尚央(甲南女子大学)
 塚原伸治(茨城大学)

趣旨:

 「民俗」を調査研究し表象するという行為は、アカデミックな研究者に閉じられたものではない。そこで、本シンポジウムではいくつかの祭りを取り上げ、「民俗」の現場にいて独自にそれを調査・研究し表象する、職業的研究者ではない人々を「はまる人々」とし、あえて中心にすえて議論したい。
 祭りの現状や外部からの表象に不満をもち、独自の文脈で研究活動や表象を行った結果、もはや祭礼の一介の担い手というよりは「研究者」の立場になっていく人々がいる。あるいは他方、当初は祭りの外部にいたのにもかかわらず、好きが高じて「祭りマニア」や「祭り研究者」になる人々がいる。彼らがその一環で実際に祭りの参加者になっていくことは珍しいことではない。
 もちろん、従来の研究がそのような存在を無視してきたといいたいのではない。しかし、彼らが特殊な、あるいは周辺的な存在として理解されてきたことからもわかるように、そのような立場の人々をきちんと捉え損なってきたともいえるだろう。
 たとえば、内部の人間による研究・表象について、アカデミックな研究者がしてきたことはこうだ。アカデミックな研究者は、自らと言葉や関心を共有できる部分においてのみ彼らを「地元の研究者」として位置づける。その位置づけによって、アカデミックな研究の動向とは必ずしも重なり合わない、彼ら自身の動機や彼らが持つ世界は捨象されることになる。そして彼らを、当事者とアカデミズムの間に立つ者として「周辺化」することに成功する。
 あるいは、外部からやってきた「はまる人々」についてしばしば行われる「近年の祭りにおいて、よそものが重要となっている」という表明からは、そのような人々を、あくまでも周辺的な存在としてのみ位置づけることが可能だという前提を透かし見ることができる。
 このような「はまる人々」が捉えられ損なってきた原因の一つに、従来の祭り研究が祭り自体(あるいは地域)を中心において理解することから離れられなかったという事情がある。祭りをひとつの「全体=中心」として置く限りは、上にあげたような「はまる人々」の「周辺」化された位置づけは、正当で安全なものであったのである。
 しかし、ここでは「あえて」このような位置づけを反転させて、「はまる人々」を中心において議論したい。彼らを中心に置いて彼らにとっての祭りがどのようなものかを考えれば、違った姿が浮かび上がるに違いない。祭りにとっての、あるいは担い手にとっての「特殊」「周辺」であるかもしれない彼らであるが、彼らにとっての祭りが周辺的なものであるわけではない。むしろ、彼らの人生そのものと不可分といえるほどに重要なものであることもめずらしいことではないだろう。
 これは、祭り研究の間隙を探すことではない。むしろ、祭り自体を中心において設定される問いを一旦停止し、人間を中心に据えた視点で考えることで、研究の視点を攪乱することを目的としている。そして最終的には、「民俗」中心の民俗学をいかに相対化できるのかという大きな問題系へと接続することを目指すものである。

森田玲「祭は誰のものか?―イベント化する神賑(かみにぎわい)行事~岸和田祭と地車(だんじり)と私―」

 祭は神事と神賑行との絶妙のバランスの上で継承されるが、時に神賑が暴走し祭がイベント化する。岸和田祭はその典型だ。私は地車の高速曳行化に伴う囃子の衰退を憂い、大学を中退して笛屋を営み始めた。平成十八年に祭が土日開催となって後は「祭は誰のものか?」という根本を地元に問いながら、子供囃子教室、各地の祭紹介のシンポジウム、神社記念誌の編纂、担い手との勉強会の開催などに力を入れている。本発表は、地車文化圏で生まれ育ちながらも祭を離れざるを得なかった私の、二十年をかけたアイデンティティの回復の経緯と、地元との関わりの報告である。

有本尚央「祭りを語る/騙るのは誰か―岸和田だんじり祭における囃子の「改善」運動を事例に―」

 本報告は、本企画の第一登壇者である森田玲氏の諸活動を社会問題の社会学的視点から「クレイム申し立て活動」と「状態のカテゴリー」の構築に関わる実践して捉えることを通して、祭りに「はまる人」がいかにしてそこへと至るのかについて考察する。これは、社会学的な祭り研究であると同時に、本企画が主題とする「はまる人」について、アカデミックな研究者の立場性を含み込んだ祭りに関わる〈中心と周辺〉の問題系を撹乱する試みでもある。

塚原伸治「祭りに魅了される人々―「民俗」にはまるのは誰か―」

 本発表では、千葉県香取市の「佐原の大祭」におけるふたつの出来事について語る。「外部」であった人々の調査や情報交換が、祭礼への新たなチャンネルを創出した例、あるいは祭礼の担い手による新しい調査活動が、発表者自身やその身近な人々がアクターとなって行われた例をもとに、「民俗」について調査し記述するという活動が、情報環境やリテラシーとの関係において変化しつつある現状について概略する。