2022年度年次大会
2022年度年次大会
■現代民俗学会会員の方には、開催日前日までに、会員向けメーリングリストを通じて、参加に必要なZoomのID・パスコード等をご連絡いたします。
■本研究会は、非会員の方にも事前申し込みの上でご参加いただくことが可能です。下記の登録方法をよくお読みください。
日 時:2022年5月28日(土) 11:00~
場 所:オンライン開催(Zoom使用)
11:00 開会 (会長挨拶、注意事項等)
(1)個人研究発表 11:05〜12:00
11:05~ 第一報告
丹羽英二(神奈川大学歴史民俗資料学研究科)
「日本酒醸造企業で祭祀・儀礼が営まれる一因としての経済的合理性について―「立春朝搾り」拡販イベントを事例に―」
11:35~ 第二報告
金城ハウプトマン朱美(富山県立大学工学部教養教育センター)
「ドイツ民俗学のゆくえ―ドイツ民俗学入門書と経験文化学について―」
(2)会員総会 12:00~
(3)シンポジウム 13:30~(最長18時頃まで)
「世間話研究の可能性—ことばの実践から「公共性」を問う—」
趣旨説明:
川松あかり(九州産業大学)・三隅貴史(関西学院大学)
発表者:
山﨑遼(立命館大学文学研究科博士課程後期課程)「「定住の移動民(トラベラー)」:Stanley Robertsonの自伝小説にみる定住トラベラーのイメージ」
李鎮教(安東大学民俗学科)「農民たちの抵抗と民俗的表現」 通訳:金広植(立教大学兼任講師)
下田健太郎(熊本大学大学院准教授)「(生き)ものに響く声―水俣病経験のカタリとハナシから考える」
コメンテーター:
重信幸彦(國學院大學兼任講師)
司会:
三隅貴史
コーディネーター:
川松あかり、三隅貴史
趣旨:
1990年代頃から、ナラティヴ研究は、語られたものの解釈だけではなく、語るという言語行為やその社会構成的機能をも含んだ形で人間の言語実践を捉えるアプローチを発展させてきた。そして、様々な領域にまたがって理論的研究と具体的事例研究の双方が積み上げられてきた。
一方、民俗学はその成立期から人々の言語実践に着目してきた学問であり、ナラティヴに関する長い研究史と方法を有している。これまでこの領域において大理論(たとえば、歴史地理的方法、民話の形態学的分析、口承定型句理論、SPEAKINGモデル)なども提示してきた。
では、これらの世界的な民俗学の業績にくわえて、日本民俗学から現代のナラティヴ研究にたいして新しい方向性を示すことは可能だろうか。本シンポジウムでは、日本民俗学におけるナラティヴ研究の独自性の一つとして、日本社会の進歩・改善・変革をことばの成長によって実現しようとした柳田國男の問題意識を発展させてきた、世間話研究を取り上げたい。特にここで検討するのは、「カタリ」と「ハナシ」にかんする議論である。
「世間話の研究」(1931)において柳田が批判したのは、人々の自由なもの言いと思考を発達させるはずのハナシ(=新しく、より自由な談話)が、面白い話を求める聴衆の欲望に迎合しながら、結局カタリ(=古風で定型的なもの言い)に囚われているという当時の現状であった。
この議論を発展させたのが、1980年代後半の世間話研究である。柳田の議論を再発見する形で再燃した世間話をめぐる議論は、柳田の批判を受け止めながら、聞き書きの場で立ち現れるハナシのありようへの自覚を促した。ここでは、聞き手である民俗学者の側が、自ら設定した型に適合する限りにおいてしか話者のハナシに注意を払ってこなかったことが問題とされた(重信幸彦1989「「世間話」再考:方法としての「世間話」へ」『日本民俗学』180)。そしてさらに、そもそも調査地で出会う人々が生きる現実は、常に調査者に伝わり得ることば、すなわち世間話の形をとってしか現れ得ないことも自覚された(小池淳一1989「言語・伝承・歴史:日本民俗学における個人認識」『族』10)。
くわえて、これまでの世間話研究の成果は、型があってこそハナシが共感をもって受け止められること、また、型を与えられることで初めて言葉にならない心情が広く世間に共有される場合があることも明らかにしてきた。つまり、私たちが自由に操れるハナシは、そのままカタリ、そして、制度や権力と結びついた言説にまで連なっていく性質を持つものだといえる。
このように、世間話研究の蓄積は、人々の日常のことばの実践が向かう定型性や拘束性とそこからの脱却の両方を視野に入れ、そこから日常を問い直し、人と人とのつながりを再構築していくための視点と方法を模索してきた。本シンポジウムによって、このような世間話研究の成果を民俗学全体に共有し、今後さらに発展させていくための論点を導き出したい。
以上の問題意識にもとづき、本シンポジウムでは、3人の報告を行う。
まず、第1発表の山﨑は、口頭伝承のような定型的なカタリが、個人的経験のハナシの適切な位置に配置されることによって、スコティッシュ・トラベラーの生き方が肯定的に表象されている自伝的小説について論じる。山﨑発表は、「世間話の研究」では対立するものとして示されたカタリとハナシが相互にまじりあうことによって、スコティッシュ・トラベラー自身の視点からその生き方を伝えることに成功している事例を示してくれるだろう。
つぎに、第2発表の李は、韓国の英陽多目的ダム建設阻止活動の過程で地域住民によって開催された「長坡川文化祭」や、大規模風力発電団地造成反対運動の過程で企画・実践された主山山神祭りについて論じる。李発表においては、法的論理によって正当化される開発に反対するために、「聖地としての山」や「山神祭り」という、住民の感情や文化的伝統に合ったわかりやすいカタリの型が持ち込まれることによって、住民が自分たちの生活を守ることの正当性に気づき、闘争のための持続的な連帯が達成されてきたことが述べられる。さらに李発表は、民俗的なカタリを抵抗の象徴として再発見・再構成する方法が、1980年代の学生運動の流れを汲むものであることを指摘する。
そして、第3発表の下田は、石像を彫って水俣湾岸に建立してきた人々による水俣病経験のハナシが、石や仏像といったモノとのインタラクションの中で変容し続ける様を描く。ここから下田は、水俣病をめぐるハナシが一元的な歴史物語というカタリに落とし込まれることなく話し直され続けること、そして、その過程で様々な対立を超えた生き方が生み出されていることを論じる。世間話研究は、かねてからハナシを媒介するメディアの特質に注意を払ってきた。下田の発表は、その議論をさらに発展させ、民俗学全体につないでいくための手掛りを与えてくれるだろう。
近年の国内外の民俗学においては、民俗学的研究を通した公共性や社会正義の達成などが論点として浮上している。本シンポジウムにおいては、人々のことばの実践を問うことから、これらの現代的課題に民俗学的研究がいかに貢献し得るかという点について、展望を見出していきたい。(文責:川松・三隅)
第1発表
山﨑遼(立命館大学文学研究科博士課程後期課程)
「定住の
本発表では、スコットランドの移動民族スコティッシュ・トラベラーによるオートエスノグラフィック・テクストである自伝小説に着目する。なかでも、代表的トラベラー作家の一人スタンリー・ロバートソン(Stanley Robertson, 1940–2009)のFish-Hooses(1990)ならびにFish-Hooses 2(1991)を対象に設定し、そこで作者が当事者による新たなトラベラー像の産出を行なっていることを検証する。
Fish-Hoosesシリーズはスコットランド北東部アバディーンにおける鮮魚加工場の労働風景を描いた自伝小説でありながら、定住したトラベラーが定住社会の中で直面する多様な葛藤が描出されている。この二作は、鮮魚加工場での日常を描く「ハナシ」の中で登場人物が物語や体験談といった「カタリ」を語り合うという形式を取っている。本発表では、ロバートソンがこの「ハナシ」の中に「カタリ」を埋め込む手法を活用することで、定住後のトラベラーを、移動生活を諦めた後も民族的アイデンティティを保持したまま生き続ける「定住のトラベラー」として表象していると論じる。
第2発表
李鎮教(安東大学民俗学科)
「農民たちの抵抗と民俗的表現」 通訳:金広植(立教大学兼任講師)
本発表は、「長波川文化祭」と「主山山神祭」を事例として、民俗的表現を用いた農民たちの抵抗について論じるものである。
韓国慶尚北道の英陽(ヨンヤン)ダム建設において、長坡川(チャンパチョン)を守る目的で企画された長波川文化祭(長波川の祭り。渓谷遊び、民俗遊びなどを楽しむ)は、2012年から、英陽ダムの完全白紙化が発表された2016年までに5回開催された。切迫した闘争のなかで、住民たちはこの文化祭を通じて内的結束を強固なものにし、地域内外に長波川の生態的価値と意味を知らせることができた。この文化祭では、水没危機に直面していた地域とマウル(村)を守る為に「チャンスン祭(長承まつり。長承(長生)とは村の入り口に立つ主神)」が企画・実践された。このチャンスン祭は、80年代に韓国の大学を中心に活発に展開されていた抵抗文化が、帰農・帰村した人びとや演出家のチャン・ソイクによって媒介されたものでもあった。
長波川文化祭は、その後も、例えばH村における主山山神祭のように、地域社会に様々な社会・文化的影響を与えている。大規模風力発電団地の造成への反対活動の文脈で企画・実践された主山山神祭は、長波川文化祭に倣い、帰農・帰村した人びとによって提案されたものだ。主山山神祭の開催以来、H村住民の間で「山神から送られたワシミミズク(鷲木菟)」という言い回しが用いられるようになるなど、山神と関連させた民俗的世界観や想像力が刺激・強化されている様子が見て取れる。また、風力発電から主山を守りぬいた原因を、山神の霊験と関連づける話も見られる。このような、住民たちが自らの経験を公論の場で民俗的な方式で説明・解釈する様子は、注目すべき文化的現象であると同時に、一種の民衆的カタリといえよう。
第3発表
下田健太郎(熊本大学大学院准教授)
「(生き)ものに響く声―水俣病経験のカタリとハナシから考える」
発表者は2006年から水俣・芦北地域でフィールドワークを重ね、水俣病経験が想起され、その記憶が紡がれていくありようを「モノと語りの響き合い」という視点から明らかにしようと試みてきた。そこで見いだした要点の一つは、水俣病の「認定=補償=救済」という定型的なカタリや問題の「解決」をうたう政策がつくられてきた一方で、そのようなカタリの前提そのものを問い直す試みが、水俣病と共に生きる人びとの側から生みだされてきているという点である。本発表ではとくに、水俣湾埋立地の海際に建立されてきた石像や、水銀に汚染された魚たちといった(生き)ものを介して紡ぎ直され続けている水俣病経験のハナシを検討し、その過程で様々な対立を乗り越えていくための生き方が模索されていることを論じる。その上で、(生き)ものの媒介性という視点から、事例を通じて浮かび上がる「カタリ」と「ハナシ」のありようについて考察することにしたい。
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