第27回研究会 生活のなかの感性と美学
日 時: 2015年4月26日(日)11:00~12:15
会 場:成城大学3号館311教室
発表者:
俵木悟(成城大学)
丸山泰明(元国立歴史民俗博物館)
横川公子(武庫川女子大学)
コーディネーター:
俵木悟
趣旨:
日本の民俗学は長らく「美」の問題を正面から論じることをしてこなかった。むしろ意図的にこれを避けてきたようにも思われる。これは諸外国と比較して、日本民俗学の顕著な特徴のひとつである。例えばアメリカ民俗学では、1970年代にDan Ben-Amosが民俗(folklore)を、’artistic communication in small groups’ と、またDell Hymesが民俗学(folklore study)を、’ the study of communicative behavior with an esthetic, expressive, or stylistic dimension’と定義づけて以来、表現文化の「美的」な性格を論じるのは、民俗学の主要な研究関心であったと言えよう。あるいは同じ東アジアの中国、韓国などでも、文芸・工芸・舞踊・演劇などの「芸(artistic skill, performance)」は民俗学の最も民俗学らしい研究領域であった。
日本でも民俗学で美を論じることが試みられていた時代があった。昭和2年に結成された民俗芸術の会はその代表的な組織であり、その結成にも少なからず関わった柳田國男は『郷土生活の研究法』(1935)で、よく知られた民俗資料の三部分類の心意現象のなかに「趣味」を位置づけ、「善と美はともにこの一般的趣味の下に包括されるもの」と述べている。この当時の「民俗芸術」という研究視点がもっていた可能性は、近年、真鍋昌賢らによって再評価が進められている。その系譜が途絶えた一つの要因は、後の民俗学が客観的・実証的な科学たることを標榜するなかで、価値の評価に関わることを徹底的に避けてきたことがあろう。柳宗悦らの民芸運動と民俗学が、趣味的・鑑定家的志向をめぐって袂を分かった経緯などにそれが表れている。
私たちはここで、人びとの生活のなかに表れる美の問題に、新しい視点で挑んでみたいと考える。柳田の「趣味」の言葉にヒントを得て、これをものごとの良さや美しさを感じ取る能力(=感性)と捉えなおす。すると、それが特定の社会文化的な状況でどのように発現するのか、またそれに基づいて人びとが何を「美しいもの/良いもの」として選択してきたか、あるいは自らの生活を少しでも美しく豊かなものとするためにどのような技や知識を生み出し伝えてきたか、といった問題が民俗学の課題として立ち上がってくる。日々の生活実践としての「こだわり」や「工夫」のなかに美意識を見出し、それらが時代的・社会的な規範性をもちながらも、個人の創意工夫によって更新されていく様相は、狭義の表現文化に止まらず、民俗学が取り組むあらゆる研究領域のなかに見出せるであろう。こうした問題を広義の「美学」として論じる可能性を開きたい。(文責:俵木悟)
俵木悟(成城大学)
「良い踊りの民俗誌―踊りの評価の文化的構成」
日本の民俗芸能研究は芸能の「芸」やその評価を論じることを避けてきた。不特定の人びとが無意識的に伝える民俗芸能という概念規定によって、個々の演者の一度ごとの上演と不可分の芸の評価は研究の埒外とされた。だが芸能実践の場では、演者と観客双方にとって芸の巧拙が主要な関心の焦点であることは間違いない。
本発表では、鹿児島県いちき串木野市大里に伝わる七夕踊を事例に、地域の青年が演じる太鼓踊りの芸の評価がどのようになされるかを考察する。この踊りは、青年男性が一生に一度、一週間の稽古によって習得するもので、高度に洗練された熟練の芸を受け継いでいるわけではない。それでも集落代表の踊り手が少しでも高い評価を得られるよう多くの住民が結集する。その踊りの評価には絶対かつ客観的な基準は存在しない。人びとの記憶、踊り手の個人史、各時代の社会状況など多くの要因が相乗して、評価が文化的に構成される様相を明らかにしたい。
丸山泰明(元国立歴史民俗博物館)
「今和次郎と田園生活―造形の観察と実践の場としての郊外」
今和次郎の研究をめぐっては、1923年の関東大震災をきっかけとして民家研究から考現学へ移行した、すなわち農村の研究から都市の研究へ移行したといわれることが多い。しかし、生活者としての今は震災をきっかけとして東京都心から西郊外に引越し、教授として勤めていた早稲田大学に電車で通勤する郊外生活者となる。震災前年の1922年に出版した『日本の民家—田園生活者の住家』で、今は農村が都市に侵食され民家が失われていく郊外化の様子を批判的に論じているが、自らもまた郊外で暮らし始めるのである。自然に囲まれた郊外で仕事の合間に菜園を耕し庭をつくる暮らしは、当時理想として語られていた都市と農村が調和する生活を実践するものであるともに、それまでの民家の見方を変えるものでもあった。今が美しく楽しい住まいについてどのように考えていたのかについて、研究の軌跡とライフヒストリーをたどりながら検討することにしたい。
横川公子(武庫川女子大学名誉教授)
「生活の中の手工芸における美と感性の力」
生活の中の手工芸は、近代化の中で、暮らしの基底に沈殿した美や感性を引き受けてきた砦の一つではなかろうか。大抵の手工芸品は、制作者の手元にひそやかに置かれ、ときには贈り物や展示用に供されることもあるが、大半は、家庭の中で使用され、飾られ、しまい込まれたまま家族に受け継がれ、人の目に触れないままに忘れられてきた。しかし近年の商品化やボランティア活動には、変化が認められる。そこには、元々手工芸が内に秘めていた爆発的な力が見出せる。
展覧会「共感のちから・無名のちから―明治・大正・昭和を生きた人々の手芸品」(武庫川女子大学資料館 平成23年度展覧会、横川監修)の試みは、手芸品が持つ底力について、改めて考えさせる。手工芸品に凝縮された、暮らしを飾ること、味わうこと、そして生きることに見出だせる美的こだわりには、未来への予兆が炙り出せるのではなかろうか。
■主催/共催:現代民俗学会、Anthropology of Japan in Japan、成城大学グローカル研究センター