第3回研究会 「社会」再考
第3回研究会 「社会」再考 ―村落研究から展望する新しい社会像―
日時:2009年11月14日(土)13:30~16:40
場所:お茶の水女子大学 大学本館2階209室
表題:「社会」再考 ―村落研究から展望する新しい社会像―
発表者:
岡山卓矢(東北学院大学文学研究科博士前期課程)「契約講の地縁社会化」
武井基晃(筑波大学人文社会科学研究科 助教)「歴史の共有と「わたしたち」の範囲」
コメンテーター:
石垣悟(文化庁伝統文化課)・小西公大(日本学術振興会特別研究員(PD)/東京大学東洋文化研究所)
■コーディネーター:渡部圭一(早稲田大学人間科学学術院 助手)・門田岳久(東京大学総合文化研究科博士課程)
趣旨
社会とは、民俗学にとってどこか茫漠としたテーマである。たとえば民俗誌の最初の方に配される章は“社会”であり、村落社会・社会伝承・社会組織といった類語もなじみの深いものである。一方で現代社会と民俗といった大枠の言い方も可能で、民俗の変化をめぐっては“社会・経済的条件”など、外在化された社会が想定されることもある。民俗学は社会についてつねに二枚舌を使ってきたというべきかもしれない。漠然とした社会という言葉に、術語としての明確なメッセージをこめていくためにはどうすればいいだろうか。
これまでこうした問題が放置されてきたわけではない。むしろ戦後民俗学史の方向は、村落社会の肥大化、あるいは社会と村落を同一視することの閉塞感に対する批評をひとつの基調としてきた。いわゆる伝承母体論の盛衰はそのひとつであり、対抗軸として明瞭に“個人”への注目が打ち出された時期もあった。しかしそれらは伝承母体論批判という当座の意図を越えた方向性をもたず、個と全体との対立を強調するあまりに個の営みから「社会的なもの」の生成へと視点を回帰させる道を確保することができなかった。一方では批判対象だった村落研究自体もなしくずし的に後退してしまい、結果としてみると当時の議論は霧散した感が漂う。
ところで現代人類学の一つの志向として、個人の対立項としての社会を前もって措定することなくいかに人々の日常を記述するかという問題意識がある。人と人、人やモノとの配置や相互行為から立ち上がってくる集合性をあえて社会といわずネットワークと呼ぶのも、個人に外在する全体的(ホリスティック)な社会の概念を無批判に用いてきた、旧来の社会構造分析から脱する試みであろう。個人が社会を造り社会が個人を規定するという弁証法的関係をテーゼとするシンボリック相互作用論や、国家と個人の中間であるアソシエーションに社会的なもの(the social)を見出していく立場においても、個としての人間の実践の中に、リジッドな共同体ではないある種の共同性の生成を見ようとする視点が共有されている。
かたや地域のフィールドワークもけっして立ち止まってきたわけではない。村落という社会を静的な分析単位とみなさず、実践や経験のレベルで社会的な営みを注視するなど、柔軟な問題意識を育てつつある。自明視されてきた社会という存在を相対化し、いかにアクチュアルに分析しなおせるか、フィールドワークの試金石はまさしくそこにある。「社会」再考と題したこの企画で、あえて村落という局面から民俗学的社会概念の自覚化と相対化をはかりたいと考える所以である。
ここで“村落から”の取り組みを標榜するのにも理由がある。かつての伝承母体論批判は、都市・口承・芸能など、村落研究以外の領域で達成されてきたことを想起したい。一面、それが研究状況に対話の困難を生み出し、社会像の再検討という実質的な展開に繋がらなかったことも否定しがたい事実である。村落と社会をめぐる問題は、本当の意味ではまだ乗り越えられていないのではないだろうか。逆にその洞察にたつかぎり、社会概念をめぐる議論は多面的な展開が期待できるフィールドであり、民俗学とその他「社会」科学との横断的な回路をひらくフィールドともなるだろう。そのもっとも先鋭的な批評の可能性を、村落研究自身の新しい展開に期待する。(渡部圭一・門田岳久)