2009年度年次大会
2009年度年次大会
日時:2009年5月23日(土) 10:00~17:00
場所:成城大学 321教室
(1)会員総会 10:00~11:30
(2)年次大会シンポジウム 13:30~17:30
「アメリカ民俗学の社会史 ―日本民俗学への提言―」
登壇者:
小長谷 英代(長崎県立大学)「アメリカ民俗学における『伝統』 ―近代のパラダイム―」
平山 美雪(立命館大学・非常勤講師)「アメリカ民俗学における『パフォーマンス』研究の政治性と有効性」
及川 高(筑波大学大学院)「アメリカ民俗学は何をみせてくれるのか? ―悪石島の仮面神を事例に二つの民俗学の差異をさぐる―」
趣旨:
現在の日本の民俗学は、他国のMINZOKUGAKUと比べて、海外と交流し、その知見を吸収することにあまりにも消極的です。1950~60年代には、一定程度、海外の研究方法が論じられ、また、欧米を含む世界各国の民俗学が紹介されていましたが、1970年代には、海外への関心は薄まり、海外を取り扱ってもそれは研究の方法論ではなく、研究素材のみが紹介されるだけにとどまりました。さらに、1980~90年代には、海外といってもアジア研究に関心が限定されてしまいました。ここ数十年来続く日本の民俗学を取り巻く閉塞感や沈滞感は、ひとつにこのような海外との学問的な没交渉に起因しているものであるといえるでしょう。
日本の民俗学は、学問としてあまりにも「井の中の蛙大海を知らず」になってしまいました。いま、私たちは日本の民俗学が孕む問題点を顕在化させ、それを克服するために、海外のMINZOKUGAKUを深く理解し、それと日本の民俗学と対照して、新しい方向性や有益な観点を吸収することに、もっと積極的にならなければなりません。
本シンポジウムでは、アメリカでMINZOKUGAKUを学ばれたお二人に、「アメリカ民俗学の社会史―日本民俗学への提言」と題して、アメリカ民俗学の論点や研究を繙きながら、日本民俗学の新しい展開を促す問題提起をしていただきます。具体的には、個々の社会・政治的状況が、どのように「民俗」や 「伝統」、「パフォーマンス」などの研究の展開を促進したのかという問題を、検討します。この問題提起は、まさに他山の石として、日本の民俗学を展望しなおす大きなきっかけとなるでしょう。 (趣意:菅豊)
小長谷 英代 「アメリカ民俗学における『伝統』―近代のパラダイム―」
【要旨】
「伝統」はアメリカ民俗学において領域形成以来、「フォークロア」を定義付けてきた中心的概念の一つである。特に1980年代以降、民俗学的理論・実践に対するポストモダン的批判や内省が高まる中で、「伝統」の再考は領域の主要な課題となり、「伝統」への従来の自然主義的アプローチは大きく転換されている。アメリカ民俗学は「伝統」をどのような状況で、どのように論じてきたのか。本報告では、アメリカ民俗学における「伝統」の言説を、進歩、変革、個人等、アメリカ近代思想の論点とその歴史的、社会的脈絡にとらえ、「伝統」概念の特殊性、曖昧性、構築性を明らかにしていく。民俗学は社会や時代に特有の知の形勢に構築されるのであって、したがって本報告では、民俗学が一国内の議論に固執、埋没せず、国際的議論を通して概念・理論の意味や価値を相対化し、理解を深めていくべく提言していきたい。
平山 美雪 「アメリカ民俗学における『パフォーマンス』研究の政治性と有効性」
【要旨】
「伝統」はアメリカ民俗学において領域形成以来、「フォークロア」を定義付けてきた中心的概念の一つである。特に1980年代以降、民俗学的理論・実践に対するポストモダン的批判や内省が高まる中で、「伝統」の再考は領域の主要な課題となり、「伝統」への従来の自然主義的アプローチは大きく転換されている。アメリカ民俗学は「伝統」をどのような状況で、どのように論じてきたのか。本報告では、アメリカ民俗学における「伝統」の言説を、進歩、変革、個人等、アメリカ近代思想の論点とその歴史的、社会的脈絡にとらえ、「伝統」概念の特殊性、曖昧性、構築性を明らかにしていく。民俗学は社会や時代に特有の知の形勢に構築されるのであって、したがって本報告では、民俗学が一国内の議論に固執、埋没せず、国際的議論を通して概念・理論の意味や価値を相対化し、理解を深めていくべく提言していきたい。
及川 高 「アメリカ民俗学は何をみせてくれるのか? ―悪石島の仮面神を事例に二つの民俗学の差異をさぐる―」
【要旨】
トカラ列島・悪石島において盆の終わりに出現する仮面神・ボゼに関し日本民俗学が論及したことは一度ではない。それらの研究はそれぞれに成果としての意義を認めることはできようが、ただその枠組みが今日の悪石島にある現実の人々の営みをどれほど十分に描きえているのか、と問うとすれば、それは疑問なしとはしえない。ではこのときアメリカ民俗学の枠組みに従うとすれば、どのようなことがみえるのであろうか? これが本報告の問いである。このとき浮かび上がってくるのは、真正な伝統/観光による汚染、民俗宗教/娯楽イベント、島民の共同体/外部からの来訪者・・・・・といった二項対立によって捌くのではない民俗文化への視座といえる。本報告はフィールドの分析に基づき、日米の二つの民俗学の差異を探ることでアメリカ民俗学のポテンシャルを具体的に示すとともに、それらとの接合の筋道を事例から模索してゆくことを趣旨としたい。