(3/15)第82回研究会 メディア史料/資料で読み解く近現代の都市―近現代史と民俗学の視座から―
第82回研究会 メディア史料/資料で読み解く近現代の都市―近現代史と民俗学の視座から―
- ■日時:2026年3月15日(日)14:00-17:10
- ■開催方法 ハイフレックス
- 対面会場:東京大学駒場キャンパス 18号館1階 メディアラボ2
- オンライン会場:Zoom
- 現代民俗学会第82回研究会ポスター(暫定版)
【趣旨】
本研究会は、史料/資料(新聞・雑誌・資料)を通して、近代の皇室イデオロギー、軍隊、メディアや経済界が都市の生活や祭礼に与えた影響を考えることを目的としている。またこれらの手続きを通して、史学と民俗学の協働の可能性についても模索したい。
「近代」という時代は「民俗」にとっては不遇な時代であったためだろうか、歴史民俗学においても「近代」が中心的な議論となることは少ない。そのため、「現代」における「近代」の影響もまたあまり議論されることがない。ここには、近代の国家体制によって、「民衆」が主体である「本来の民俗」ではなくなってしまっている(だから、近代は議論に値しない)、といった見方が研究者側に少なからずあることも関係しているように思われる。
この「近代」を考える上で、着目したいのは、新聞、雑誌といったメディアの存在である。メディアは、大都市東京だけでなく地方都市にも近代以降多数登場した。もちろんメディアは当時の時勢にあわせ、新聞社の方針に従って一記者が書いた記事であることであることは間違いない。つまりそこに書かれていることのすべてを「事実」として捉えうることはできない。またそこには記載されていない(もしかしたら何らかの意図をもって一切掲載がされなかった)「事実」が多数あるだろう、という指摘は当然ありうるだろう。しかし、そのような点を鑑みてもメディアは、インフォーマントの不在に伴う、「聞き書き」では捉えきれない当時の様子を知るための重要な手がかりとなり得るのではないだろうか。
これらの作業は、民俗学と史学の協業の可能性を探るものである。地方都市の行政調査の現場では史学者との協働は当たり前になっている地域も多いが、一方、アカデミアでは今もそう盛んだとは言えない。こうした史学と民俗学の間の距離感について史学者の高取正男は論考「日本史研究と民俗学」(『岩波講座 日本の歴史 25 別巻 2』、岩波書店、1976年)のなかで、両者の協力機会の乏しさや安易な交流の弊害に触れつつ、民俗学が日本史研究を豊かにする前提を整えうることを指摘する。また、西海賢二は『現代民俗学』創刊号の論考「今、なぜ民俗学の歴史離れか―1970年・80年代の歴史学者から民俗を読む―」(『現代民俗学』第1号、2009年)で指摘し、福田アジオは「課題 歴史と民俗学研究」(『歴史と日本民俗学―課題と方法』、吉川弘文館、2015年)のなかで「共同・協業を目指すが、安易な一致・統合を期待する必要はない」としている。
このようにいわば連綿として議論されてきた協働の可能性を、メディア史料/資料が豊富な近現代の都市を考察することから探ってみたい(文責:後藤)。
【コーディネーター】
- 後藤晴子(大谷大学)
- 塚原伸治(東京大学)
【プログラム】
- 14:00-14:15 企画趣旨:後藤晴子(大谷大学)
- 14:15-15:00 報告1 平山昇(神奈川大学)
- 「日誌と新聞からみえる年中行事の近現代史」
- 15:00-15:45 報告2 岸川雅範(神田神社)
- 「近代から現代へ東京の祭りは何が継承され何が変容したか」
- (15分休憩)
- 16:00-16:30 コメント1 塚原伸治(東京大学)
- コメント2 渡勇輝(佛教大学)
- 16:30-17:10 質疑応答