2011年度年次大会
2011年度年次大会
日時:2011年5月21日(土)10:00~18:00
場所:成城大学 321教室
(1)個人研究発表 10:00~12:00
10:00~10:30
松岡 薫(筑波大学大学院 人文社会科学研究科)「芸能の形成における外来者の存在 ―祭りに出演する芸人たちとの関わりから―」
10:30~11:00
後藤 知美(筑波大学大学院 人文社会科学研究科)「旅館業の実態と変化にみる「もてなし」 ―島根県大田市温泉津町温泉津地区の事例から―」
11:00~11:30
前川 智子(筑波大学大学院 人文社会科学等支援室 歴史・人類学専攻)「グローバル化とフランスの民族学」
11:30~12:00
蔡 亦竹(日台文化経済協会 青年委員会長)「「キモチ」が如何に満足されたか ―台湾南部の選挙民俗―」
(2)会員総会(第一部) 12:00~12:45
(3)年次大会シンポジウム 13:30~17:00
「政治・世相・公民の民俗学」
登壇者:
室井 康成(東京大学)「『文明の政治』の地平へ ―福沢諭吉・伊藤博文・柳田国男」
大塚 英志(神戸芸術工科大学)「『公民の民俗学』は可能か」
コメンテーター:
菊地 暁(京都大学)
コーディネーター:
室井 康成(東京大学)・門田 岳久(日本学術振興会
趣旨:
1990年代半ばに「民俗学斜陽論」を示されて以来、民俗学界では調査すべき「民俗」の消滅であるとか、民俗学に対する社会的需要の減少といったことを嘆く声が多く聞かれるようになりましたが、そうした悲観的言説が説得力をもつ一方、マスメディアや一部の研究者の活動によって、近年の民俗学はあたかも過去の世界への憧憬を誘う語り部のごとく奇妙な存在感を発揮しています。しかし限りなく静的で歴史的な存在である「民俗」を審美化し、現在の日本社会を覆う表層的・ロマン主義的な伝統志向を学問的立場から補完することは、「眼前の疑問」に応えるというリアリズムを持った草創期の民俗学者の志とは、対局の方向を向いていると言わざるを得ません。
「眼前の事実」と言っても一様ではありませんが、貧困・自殺・格差社会・国際紛争など、今日でもニュースとして流れる社会的現実―それは世相と呼んでも良いでしょう―は、草創期の民俗学において重要な研究対象でした。それらは概して「政治」により結果を来たした事象であるとも言え、その意味においては、当初の民俗学研究は、同時に政治研究であったとも言えます。民俗学の耐用年数の超過を嘆く論者は、しばしば民俗学のアカデミズム化の過程にその有用性の衰退の要因を求めますが、それは単にアカデミズムに組み込まれたことよりも、現実社会の世相や「政治」と向き合う努力を忘却したからではないでしょうか。
このような課題に取り組むには、「政治」に対する眼差しを取り戻すことで、現代社会に対する民俗学のアクチュアリティーを高めることが必要であると考えられます。そこで本シンポジウムでは、世相や社会思想を分析する科学としての民俗学、現実政治に取り組む実践的分野としての民俗学という、戦後の民俗学界では半ば忘却された民俗学の姿を、学史や発表者の実践の中から探ることを試みます。
登壇者として、『公民の民俗学』をはじめとした著作で、柳田国男・千葉徳爾などの思想から政策科学としての民俗学という視点を再考し、近年では戦後日本における民主主義や憲法の問題に取り組んできた大塚英志氏と、『柳田国男の民俗学構想』などの著作を通し、初期民俗学が、大正デモクラシーや普通選挙法施行と連動する形で、事大主義を払拭し自律した考えを持つことのできる「公民」を養成するために構築された、との見解を示す室井康成氏、更にコメンテーターとして、『柳田国男と民俗学の近代』において民俗学的営為の持つ政治性や思想的背景を明らかにしてきた菊地暁氏を迎え、「政治と民俗学」の可能性について議論を行いたいと思います。
室井 康成 「「文明の政治」の地平へ ―福澤諭吉・伊藤博文・柳田国男―」
【要旨】
明治維新以後、わが国が近代化の歩みを進めてゆく上で、多くの思想家が克服すべき課題として認識したものが、「民俗」であった。この語が牧歌的な、保護・顕彰すべき何やらありがたい事象を指すものとしての意味合いを特に強めたのは、前代の「原風景」が大掛かりに改変された戦後であろう。そして「民俗」を研究の俎上に載せてきた多くの研究者もまた、「民俗」をそのようなものとして認識してきたと言える。とくに戦後の民俗学では、「民俗」の「負」の部分がほとんど等閑に付されてきたと言ってよい。だが柳田国男が斯学を構想した段階では、この「負」の側面こそが、学問的に問われなければならない喫緊の課題であった。なぜなら、それは「個」人の発揚を妨げる弊風と捉えられていたからである。
柳田のそうした方向性は、彼独自の思想に依って示されたものではない。そこに至るまでには、「信の世界に偽詐多し」として、前代的思考のあり方を否定した福澤諭吉をはじめ、人々の欲望や情実に訴えて人気を博そうとする「政談」を嫌った伊藤博文など、多くの先人たちの思想的下地があった。彼らの目指すところは、人間の「個」が保障された社会であり、また一部の支配層に大多数の国民が統御される前代的な政治構造を脱却し、個々の国民の意思により運用される政治体制の構築である。福澤の言葉を借りれば「文明の政治」の実現ということになる。だが、マスメディアにより仕立て上げられた人気政党への大量投票や、災害時の風評への妄信などといった人々の行動様式を見ると、明治の先人らが乗り越えようとした課題は、今日においてもなお未決のままである。
この発表では、福澤以降、識者の間で「民俗」がいかに政治課題として捉えられていたのかを跡付ける。そして、柳田による民俗学構想もまた、そうした思想的潮流の延長線上にあり、それは「民俗」に拘泥されない自律的な思考力を具備した「公民」を育み、日本に真っ当な民主主義を根付かせるための、言わば知の運動であったとの仮説を提示し、あわせてその現代的意義について考えてみたい。
大塚 英志 「「公民の民俗学」は可能か」
【要旨】
仮に柳田國男は田山花袋の追悼文の中で、彼が花袋と共有したはずの「自然主義運動」を「個々の実験者が、各自の分担した部分をありのままに報告」し、その上で「協力して新なる人生観を組みたてる」ための「文芸」の「改変」の試みであったと総括した。柳田には書き方、話し方としての「文学」をある種の公共性形成のツールとしてつくりあげていこうという志向があり、そのような言語技術に担保されて初めて民主主義システムを運営しうる「選挙民」が可能になると考えた。仮にそのような理念が柳田にあったとして、それでは「公共的なことば」はいかに「個々の実験者」から立ち上がっていくのか。その具体的実践として、大塚の関わった「中高生に憲法前文を書かせる試み」と「イラク自衛隊派兵差し止め訴訟」の二つの運動について問題点を含めて自省的に検証してみたい。